2024/8/14(水)の宿題:モノとの対話
『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる25日目。本日は山伏・坂本大三郎さんからの出題で、「暮らしの中のモノガタリ」について書く。
モノとの対話
大島弓子の『グーグーだって猫である』の中のエピソードを思い出す。
大島さんが長いこと使っていた冷蔵庫は、年季が入りすぎて、ドアを開け閉めするたびに「モウイイヨ~」と言っているように聞こえたらしい。また、FAXは長年使い続けてだんだん調子が悪くなり、ついには止まってしまったので「仕方ないから明日新しいのを買いに行こう」と声に出して言ったら、その瞬間何事もなかったかのように動き出したとか。この経験を思い出しながら、大島さんは亡くなった猫のサバにも「あんたが死んじゃったら別な猫もらってくるから」と言ったら意地になってもう少し生きてくれただろうかと考えている。
意思疎通できないモノや動物の声を聴いて対話する。これは暮らしの中のモノガタリではないだろうか。
私にもこういったモノガタリはある。
キッチンの電気の調子が悪くなってしまった時期があった。ひもを引っ張っても点かなくて、作業の手元が暗くなり地味にストレスである。パートナーが引っ張ったら点くので、「私が嫌われているのか?」等と思ったりした。
ある日とうとう誰が引っ張っても点かなくなって、苛立って紐を強く引っ張ったら紐が取れてしまった。賃貸なのでまずい、と思いながら試行錯誤して紐をつけ直す。どうやら今まで相当緩くつながっていたようで、強めに縛ってつなげ直した。
するとどうだろう、電気は何事もなく点くようになったのだ。今まで点かない瞬間があったのが噓みたいに、私が引っ張ってもパートナーが引っ張ってもちゃんと電気が点く。もしかしたら、紐が緩いのが気に食わなくてボイコットしてみたのかもしれない、なんて思った。その時私は確実にモノと対話していた。まさにこれが暮らしの中のモノガタリだ。
今度から故障したモノがあれば、そいつに聞こえるように「買い替えなきゃダメかー」と言うこととしよう。