2024/9/4(水)の宿題:読書/それより漫画の話
『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる46日目。本日は幅允孝さんからの出題。
本を読むこと、特に小説を読むことなどは単なる趣味であり、音楽を聴くとか、映画を観るとか、漫画を読むとか、そういうことと変わりなく、どちらが偉いということもない。それはわかっている。しかし、電車内で本を読んでいる人がいたら、それはイヤホンをして映画を観ている人やゲームをしている人よりもなんだか素敵だなと思ってしまう。その差はいったい何なのだろう。
本を読むことは文字列を読んでいくことで、それが勉強みたいに思えてしまうからだろうか。多くの人は勉強が嫌いだ。だから勉強が好きで勉強が趣味だという人がいたら「偉いね」とか「すごいね」とか言うだろう。勉強が好きなこととアニメが好きなことはどっちが善いとか悪いとか、重さに変わりはないはずなのに。
その延長で、文字列を大量に読んでいくという、勉強に近いように見える読書をしている人のことを一段上に見てしまうのだろうか。
少なくとも私がそういう考え方をしてしまうのは、父方の過程が教育熱心で、勉強や読書が褒められる環境にあったからかもしれない。勉強は好きじゃなかったけれど、本を読むことは好きだった。
だけど漫画を読むことも同じくらい好きだった。しかし漫画を買ってもらえることは少なかった。小学4年生のとき初めてもらったお小遣いで「ちゃお」を買ったのだが、それも難色を示されたほどだった。だから漫画を読むと言ったら、小学校の図書室ではだしのゲンや世界の偉人の漫画を読むとか、市立図書館から来る貸出バスで赤ずきんチャチャを借りるとか、母が持っていた育児漫画や大島弓子の漫画を読むくらいだった。お小遣いの額が上がるとブックオフで読みたい漫画を買い揃え、クローゼットに隠すようにしまっていた。読むときは必ず自分の部屋で。ドアをノックされたらすぐに漫画を隠した。
一方、読書はどこでやっていても、いくらやっていても咎められなかった。もちろん勉強も。だから本を読むことは善いことだという価値観を内面化してしまっているのかもしれない。電車でスマホを見ているのより、本を読んでいる方がよいことだと思ってしまうのかもしれない。
このような出題がされているということは、日本人の多くは勉強を、読書を褒められ、それが偉いことだという価値観を共有してしまっているのだろう。
本を読んでいなくても、何か打ち込めることが他にあることはすごいことだし、そういうことが何もなくたって問題じゃない。そういうフラットな考え方を持っていたい。そのほうがかっこいい。その方が善い。
しかし正直、電車で本を開くとき、最初の数分は恥ずかしながら「本を読んでる私……」的な、悦に入る感じがあることは否めないのだが。
小学校~高校にかけて、「学園アリス」とか、種村有菜作品とか集めていたな……。大学に入ると宮崎夏次系にはまり、実家で読んでいた大島弓子作品も集め始めた。今はメイドインアビスが大好き。蟲師もとても好き。
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