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2024/9/2(月)の宿題:やらなければいけないこと

 『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる44日目。本日は写真家の植本一子さんからの出題。

あなたは生まれてくるときに、
なにか生きているうちに「やらなければいけないこと」を一つ決められたようです。
その「やらなければいけないこと」は生まれるときに忘れてしまいますが、
生きている間にだんだん思い出したり、気づいたりするようです。
あなたの「やらなければいけないこと」はなんですか?

『今日の宿題』Rethink Books編,95頁

 素敵な出題文だなあと思った。植本さんの言葉は素直に心に入ってくる。
 昨日のnoteで「生まれた理由や意味はない」と述べたことへの皮肉にも思える出題だ。これをするために生まれてきたとかは、本当は思いたくないけれど、ちゃんと考えてみたい。

 そもそも「生まれた理由や意味はない」と考えることが私の救いになるのは、何のためにこの世に生まれたのかと悩むことから逃れたいからかもしれない。
 誰かのために何かをするために生まれてきたとか、自分の作ったもので何かに影響を与えるために生まれてきたとか、自分は運命付けられたものの一部なのかもしれないと思うことは、重い。
 やらなければいけない何かを探すこと、探し続けても見つからない場合は、辛い。
 もっと嫌なのは、自分にはすべきこともできることも何もないと気づいてしまうことだ。完全なる人類のモブ。大事な役目を与えられた誰かから助けてもらう、あるいは影響を受ける、あるいは特別な誰かを引き立てるためのモブ。そんなことを真正面から受け止めるのはかなり残酷だ。自分は人類のモブでいいですと言える人は正直言って斜に構えていると思う。きっと誰だって大なり小なり特別でありたいと、心のどこかでは思うはずだから。

 だから私に「やらなければいけないこと」があるとするならば、それは胸が潰れるくらい嬉しいことだ。ヒトの一個体として種の存続のために生まれてきた私、世界の端っこの冴えない私にも「やらなければいけないこと」があるなら、そんな嬉しいことはない。モブじゃないことに心から安堵するだろう。

 その「やらなければいけないこと」があるとしたらなんだろうか。noteを始めたことにも影響するし、多分そのずっと前から、私は文章を書いていたい人なのかもしれないと思っていた。一人でせっせと書いてもいるけれど、やっぱり誰かに見せる文章を書きたいのだ。
 しかしそれを全世界に公開する怖さもある。最初から今までずっと怖い。一時点の私の、偏った考え方に基づく、未熟な文章が誰かに読まれていることは、ずっと不安ではある。
 なのに続けてしまう。何かが私を動かしていると思う。それは単なる承認欲求なのか、はたまた私の「やらなければいけないこと」だからなのか。後者であってほしいなあ。そしてもっと、書くことを好きになりたい。好きで得意で夢中になれるものであってほしい。夢中で文章を書いて、書かざるを得ないから書いて、それで一生が終わっていくなら、こんなに幸せなことはないだろうな、と思っています。


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