2024/9/24(火)の宿題:わたしのおまじない
『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる66日目。本日は三上敏視さんからの出題で「いつもしているおまじない」について書く。
おまじないと言えるほどかわいくて願掛け的な要素を含むものではないが、ことあるごとに思い出すようにしていることが2つある。
1つめは緊張しそうなときのおまじない。
いつ誰に教わったとか、何に影響を受けたとか、さっぱり思い出せないけれど、発表、プレゼン、講師をする際に緊張しそうなときはいつも思い出す。
「緊張するのは自分を良く見せたいから。相手に何かを伝えたいと思いながらやれば緊張しない」
これを知ったときにはハッとした。確かに緊張するときは、上手に発表できたと思われたくて余計な力が入り、緊張につながっていた。
しかし本来、発表などは聞き手に伝えるためにすることだ。そして聞き手に伝えるということはとても難しいことだ。わかりやすい言葉遣いで、相手の反応を確認しながら説明していく必要がある。それをひとつひとつ真剣にやっていれば、緊張する暇などない。
これを意識することで、多くの場面であまり緊張しなくなった。だから私にとっては一種のおまじないだ。
2つめはうんざりしてしまいそうなときのおまじない。
やるべきことが山積みだったり、とてつもなく難解に見えたり、ゴールを遠く感じたりするとき、思い出すようにしている。
ミヒャエル・エンデ作の『モモ』でベッポじいさんというキャラクターが出てくるのだが、このおじいさんの言葉がとても好きだ。
これととても似ていると感じる言葉がある。井上ひさし著『握手』のルロイ修道士が言う、「困難は分割せよ」という言葉だ。これはデカルトの言葉だが、私は教科書に載っていた『握手』で初めて知って、心に残っている。
ベッポじいさんの言葉も「困難は分割せよ」も、途方もなく思えることも少しずつ確実に進めればよいということだと解釈している。先が見通せなくてうんざりしそうな問題があるとき、これを思い出している。するととっかかりやすくなり、気づけば問題を解決できていたりする。これも私のおまじないのひとつだ。
おまじないというか、座右の銘めいた話になってしまった。でもこの2つのおまじないは挫けそうな私を生かしてくれる、そのときどきの杖みたいなものなんです。うまく言えないけど。