8/13-14の日記 臆病な自尊心 尊大な羞恥心
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ついったーでよく見る「〜〜で好き」、「〜〜、心安らかなり」(いずれも嫌いなものを嘲笑する文脈で使われる)がめちゃくちゃ気持ち悪くて嫌い。
大好きな喫茶は私語禁止なので相変わらず静かで素晴らしい。いつものように暗かったし。狭い暗い空間に何人かの大人が静かに蠢いている空間……と書くと気持ち悪いけれど、すごく落ち着く。
ローズマリーのアイスクリームがおいしすぎるので自分で作ってボウルいっぱい食べたい。
14
夢を見た。その中で私は烈火の如く怒っていた。主に両親に対して怒っていた。怒りながら安心もしていた。これで真っ直ぐに両親を嫌いになれる。現実の私は両親がとても大切で、だからこそ苦しい。だからこんなひどいことをされたら、正当に怒って、正当に離れられると思った。そうすれば私の拠り所はもうパートナーだけになる、それだけが少し心細かった。
目が覚めて、夢の中の理不尽な出来事は何もなくて、私は両親から愛されたままの人間で、ひどく安心した。涙が出た。
中島敦の山月記の展示を見に、日本近代博物館に行った。学芸員さんの解説(?)で中島敦の自意識のことを「物事を決めつけずに柔軟に捉えることのできる性質」と言っていて、自意識の民としては救われる思いだった。山月記は書いてある全てが刺さりまくって痛くて痛くて、教科書に載っていた作品の中でよく覚えているうちのひとつだ。
中島は体が弱く、寒いのが堪えると思いパラオに渡ったそうだが、その間に文學界に山月記が乗り、本人の知らぬ間に作家デビューしていたらしい。いいなあ。私も知らぬ間に巨万の富を得たり英雄として渋谷駅前に像を建てられたりしたい。ハチちゃんと並んでみんなの待ち合わせスポットになり、冬には隣に雪でできた二人目が建造されたりしたい。しかし渋谷の駅前は見たくないものなども見えてしまうだろうか? 酔っ払いの喧嘩やゲロ、ナンパにパパ活など。それは勘弁してほしい。やっぱり像の建設はパスでお願いしたい。
ついったーをたくさん見てしまう。おすすめのタイムラインに、この頃しょっちゅうナプキンの話題やら生理中の風呂の話題やらが出てくる。男性が自分についていない生殖器の事情を知らないのはよく理解できる。ただ、デリケートな話題であるけれど、調べたり、パートナーや家族に尋ねたりすることはできると思うんだ。それを男女関係なくしようよ、って思うし、知らないことを知ってるふりして誰かを傷つけようとするのはよくないよ、と思う。
言葉にするのが難しいなあ。性教育ってもっと細かくみっちりやっといたほうがいいんじゃないでしょうか。ナプキンのつけ方とか、小学生の低学年からやろう。男の子たちが茶化したりしない年齢からやろう。恥ずかしいことじゃないんだから。血がどのくらい出てどれくらい痛いか、どこからが異常で医者にかかるべきか、早めに知っておけば女の子たちにとってもいいはず。そういう具体的な教育ってなかった気がする。恥ずかしいと思わなくなる頻度で教え込んでください。偉い誰か、お願いします。