2024/8/20(火)の宿題:相互理解
『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる31日目。ちょうど1ヶ月になる。本当にまあよく続いている。本日は鴻巣友季子さんからの出題で、「相互理解」について書く。
相手を尊重する心がなければ
出題は、英語というグローバル言語の強さには実は影が射し始めているのではないかということが述べられたうえで、相互理解について考えてみてくださいということだった。
問題文に引用された記事を読むと、興味深いことが書かれていた。記事では、アメリカやイギリスで生まれ育った英語ネイティブの英語力が問われており、国際ビジネスにいちばん適応できずにいるのは環境に応じて自分の英語を変えられない英語ネイティブだとある。
これは残酷な指摘だと思った。私の友人にも海外からの留学生が何人かいて、普通に話す分には楽しかった。しかし彼らとのコミュニケーションの中に僅かな緊張感があったことは否定できない。それは、日本で生まれ育ってきていないが故にくだらない知識の共有がなく(昔こんなコマーシャルがあったよねとか、こんなギャグがあったよねとか、そんな類の)、冗談を言うときも「通じそうか」を一瞬考えるという些細な不自由さがあった。だから彼らとは日本で生まれ育った友人より少し距離があった気がする。今振り返るととても失礼だし、拒絶の態度と取られてもおかしくない。私はあの頃の私を恥ずかしく思っている。
英語ネイティブはこのような不自由さへの怒りをあらわにすることの理不尽さを理解しないのだろうか。そうであれば、それは驕りだ。コミュニケーションの相手を尊重する心がなければ、相互理解はできないだろう。
また、こんな記述もあった。
これもまた残酷な現実だ。海外パートナーたちは英米人が英語をまくしたて合う会議で自分が的外れなことを言ってしまわないか、理解できていない部分があるかもしれないと不安だろう。だから同じ状況の海外パートナーと会議の内容を確認し合う。確認するうちに自然と意見交換や意思統一が行われるだろう。自然な流れだ。
新入社員の頃、会議の議事録を書いていたことを思い出す。会議で交わされる言葉は日本語なのに、日本語に聞こえないときがあった。何が話されているか、多分半分も理解できていない。後から同期や年次の近い先輩に確認を取って議事録を完成させていた。あれと全く同じ流れだろう。
英語ネイティブは、英語ネイティブじゃない人の気持ちは分からない。
入社20年の部長は、新入社員が会議の内容を正確に書きとれないことを知らない。
すごく陳腐な比較だけど、同じじゃないですかね。
こういう、力を持つ側の配慮の足りなさは、力を持つ側が気を付ける必要があるものの、それだけでは限界があるだろう。彼らは理解できない、気づけない。
だから力を持たないものが声を挙げる必要もある。それはきついことだし、弱い側に負担を強いることだけど、他の誰もやってくれるわけじゃないから、自分でやらなきゃならない。
そして力を持つ側は気づいたらすぐに態度や行動を改めるべきなのだ。
これは立場が台頭でも同じことで、自分の理解不足に気づいたならすぐに態度を改めるべきだ。相手を軽んじて上げ足を取ったり責め立てたりしてはいけない。
私の好きな女の子がとてもよい相互理解のラジオをあげていたので、貼っておきます。コスメとカードゲームは似ているというところから、Twitter上で男女の相互理解が深まっていて良い、みたいな話だった。
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