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2024/8/8(木)の宿題:弱い犬はよく吠える

 『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる19日目。本日は岩崎航さんからの出題で、「まわりに出来ないと思い込まれていること」について書く。

ていうかなめられてる

 親しい人に出来ないと思い込まれていることはあまりないと思う。なんでも一人でやろうとしちゃう方だよねと思われているだろうし、出来ないと思われていることは多分実際にできない。それはギターを上手に弾くとか、速く走るとか、暑さに負けないとか、そういう類のこと。ギターは全然弾けないし、走るのは壊滅的に遅いし、暑さに弱すぎて夏はほぼ溶けている。
 親しい人に出来ないことを言い当てられるのは嬉しい。それだけ自分のことを知ってくれているのだと思うから。

 問題はそれほど親しくない人だ。
 私は声が小さくて、ぼそぼそ喋って、おまけに滑舌が悪い。そのうえ無害そうな顔をしている。
 だからなのかわからないが、大学時代の知り合いの一部に「森に住んでいる小動物」的な扱いを受けていた。こちとら普通に人間だし、森に住んでるわけがないだろうが。そういう人には何を話したところで愛玩動物の戯れを見ているような表情を向けられるだけで、日本語が何一つ伝わっていないような気がした。だから小動物扱いしてくる人々とはうまく接することができなかった。

 そういう人たちは、私は悪いこととか攻撃的なことは考えないし、そういう行動はしないと思い込んでいるはずだ。
 でも実は結構怒りっぽいし、頭の中では人並みにいろいろ考えている。これまでのnoteにも表れているだろうが、結構偏ったことも言ってしまうし、むかつくことはずっと引きずっている。見た目の割に自分は嫌な人間だなと思う。そして彼らにはできないと思われているだろうが、上司が逆らえない役員に噛みつくこともできる(結果、退職ということにつながりましたけれども……)。

 見た目でなめられるのはむかつく。なめられないためには声をデカくして、筋肉をつけて、強そうな見た目になったほうがいいだろうかと思ったこともある。しかし私は声が小さい自分が好きだし、今の自分の見た目も気に入っている。なめられないために行動や見た目を変えてかなきゃいけないとしたらそれもむかつく。どんな見た目でも対等に接してくれよ。

 今日はずっと怒った文章になってしまった。私も過去に、人を見た目で判断して態度に出してしまうことがあったと思う。反省しかない。その人は今もむかついているかもしれない。ごめんなさいと心の中で謝り続けるとともに、これからの態度を正すしかない。ごめんなさい。

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