2024/9/16(月)の宿題:古い写真の魅力
『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる58日目。本日は畠山直哉さんからの出題。
写真は永遠を目指して撮られているのかということについて。
赤ちゃんの私を両親や祖父母が撮影した写真を何枚も見て、これは永遠を目指して撮られた写真だと思った。一番かわいい頃の私を撮っておいてくれてありがたかった。
写真を撮ることが、風景や食べ物を「映え」として消費するための行動であると認識されて、もう何年経つだろうか。SNSにアップされるための写真が、永遠を目指して撮られているとは、私は正直思えない。
永遠を目指したものであろうがなかろうが、一度ネットにアップしたものが誰かに保存されていれば、それは完全に消してしまうことができなくなる。必然的にSNSの写真は永遠となっているのかもしれないけれど。
そんな中でも、永遠を目指して撮られた写真もたくさんあるはずだ。子供の写真、家族の写真、美しいものの写真、戦争の写真。誰かに何かを伝えたくて、この瞬間を絶対に残しておきたくて、撮られざるをえなかった写真が。
また、スマホの写真が今後「古さの魅力」を持つことはあるのかということについて。
この出題は2016年7月29日のもの。きっとこの時点は、スマホの写真の画質がどんどん良くなっていた頃だと思う。
2024年の今、スマホで撮る写真はとても鮮明になり、拡大すれば瞳に反射した風景すら見えるほどになった。
そんな進化があるばかりではない。最近、画質の悪い写真のリバイバルしている。フィルムカメラ、写ルンです、デジカメ、ガラケーの写メ、ゲーム機での写真撮影機能まで。昨年頃からY2Kが流行り始めたことに連動しているように思う。
言うまでもなく、ガラケー等の写メは画質がガビガビだ。そこに趣を見出すというのはまさに「古さの魅力」に注目している状態じゃないか。
ということは、今スマホで撮る写真は限界まで鮮明だと思っていても、20年後にはなんとなく古さを感じる仕上がりになっているのだろう。そのときにはスマホの写真が「古さの魅力」を持つことになるかもしれない。
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