熊本地震前震から今日で2年
#熊本地震前震から 728日目
2年前の今日、4月14日 21:26
熊本・益城町に震度7を記録する地震が起きました。16日も合わせて2度も。
その瞬間を境に熊本、大分一部の生活が180度変わりました。
私は益城町で生まれ育ち、実家は現在も益城町にあります。実家の両隣・近隣・近くの幼馴染みの家、毎日通った駄菓子屋、通学路、全ての風景が一変しました。
2年前の今日、私はこの時間、同僚と居酒屋にいました。
そこに普段はLINEしかしない弟からの電話があり、「今、益城に向かいよるけん心配せんでよか、また連絡する」と弟。わたしは全く意味がわからず電話切ってスマホを見ると、LINE地元グループに「いまのデカかった地震の震源地が益城町らしい」の文字を見て一気に血の気が引いたのを今でも覚えてます。
居酒屋をすぐに出て、電車に乗りながら実家の家族へ連絡。
当然、電波が混み合っていて電話は繋がることはなく。でも何度もかけ。
30分後に親父からかかってきた電話を電車のなかで躊躇なく出て、無事を確認できた時はさすがに涙しました、、周りは平然とした電車内でしたが。。
そんな日から数週間は物資を福岡経由でピストンで送ったり(SNS友人限定で投稿後、すぐにたくさんのご支援いただきました)、寝床確保ができたGWに帰熊し、色々と色々やったり。
今日でその日から2年が経ちます。
1年前から今はどうかわったのか。
全体としての復興はもちろん進んでいます。熊本の象徴であり県民の心の拠り所である熊本城は、あくまで主観ですが痛みに耐えながら賢明に復旧している姿を示してくれています。また実家近隣も更地になりそこに新しい家が建ち始めています。
そして、熊本県民を起点とした、とても愛があり力強い活動。行定監督の熊本地震を後世に残す想いでつくられた素晴らしい映画たち、熊本ヴォルターズ、NHK武田アナウンサー、木山神社(地元の氏神様)、益城町に気球を飛ばそうプロジェクト(益城町の子どもたちに今を目に焼き付けてほしい想いで気球を上げ続ける活動)、益城町未来トーーク、ジョートフル熊本さん、県人会関連のご活動、もちろん他県からも、また東北地方からの経験値からくるご支援の数々、等々、当然他にも書ききれない程たくさん、、、
只、あまりこの日にネガな事は言いたくないですが、2年経ったから今だから出てくる様々な課題や個人的な違和感はあります。復旧・復興に“差”が生まれていること、制度の“穴”のために本来は絶対的に受けるべき保証が受けるべき全員の方に行き届いていないこと、これは本当に地元の復興のためのものなのか?被災地(地元の年配・若者)に寄り添っているものなのか?と個人的に疑問符を抱く活動、報道を含む関連活動の絶対数が減少している、などなど。
先日、ふとこの動画を見たときに、この概念こそがこれからへの糧になるものだと感じ、勇気をもらいました。
動画はスペインのサバデイに本店を構える銀行「Banco Sabadell」が創業130周年を迎え、地元の人にお礼するために行った企画の一部始終(数年前に話題になったのでご存知の方も多いでしょうが)とのこと
一人ひとり、名もなき演奏者(≒復興を願い・動き)が想いをひとつにして演奏(個人ができることを行い)し、その場にいた住民(≒周辺にいるあらゆる人々)をまきこんで、想いがつながる。
そのためには継続しかないと思っています。
“肥後もっこす”だから。
実家の氏神様である木山神社の禰宜も言ってました。
小中の1つ下の後輩なのに勝手に本当に頼りになる存在です。
気持ちはいつも私はいち町民(まだ本籍は益城町にあり・・)。
寄り添える行動って何なのか?
引き続き、次の1年もできることをやり、できそうなことを探し続けていきたいと思っています。
長々な文を最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
皆さんが故郷を想うと同じく、熊本人は熊本が大好きです・・しかも超頑固者な県民性で、その好き度は全国一だと勝手に思っています(笑)。
熊本を是非、引き続きよろしくお願いします。
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