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「間違っちゃいない」という曲のおかげで今の私がある




「間違っちゃいない」

WEST.の重岡大毅さんが初めて作詞・作曲をした楽曲です。収録されたのは、2018年12月に発売された「WESTV!」というアルバムで、当時はユニット曲(重岡/神山/濵田)として発表されました。その反響を踏まえて2年後、7人全員で歌う「間違っちゃいない。」が発表され、2024年現在も楽曲投票で上位に入る人気ぶりを博しています。



私は発売当時すでに重岡くんのファンで、この“初めて作詞・作曲をした楽曲”の発売に胸を躍らせてはいましたが、その一方で私生活ではある悩みを抱え、日々試行錯誤をしながら向き合っている時期でもありました。


というのも、私の息子は発達障がい(神経発達症)を抱えています。言葉の遅れで1~2歳の頃から各所に相談し、3歳の時にある診断名の告知を受けたことで判明しました。

妊娠中も出産直後も何の指摘もなかったことから健常な子だと思い込んで育てていた私にとって、この事実への受容は容易いものではありませんでした。さらに将来への漠然とした不安、毎日その都度正しい対応力を問われる日々。特に癇癪への対応は一筋縄ではいかないことの連続でした。


この2018年には年中さんになり、2学期も後半になってくるといよいよ小学校について本格的に動き始める時期となりました。通常学級・支援学級・支援学校・通級…ありがたいことに色んな選択肢があるのですが、それ故にとても悩みました。ただでさえ子育て初心者で今後の成長が読めない中、障がいを考慮しながらの適切な判断ができるのか…ハードルの高さを感じていました。

悩むぐらいですから、それぞれに魅力的な点もあれば心配な点もあるんです。学習面から友達関係まで、色々な分野で本人の気持ちを守れる選択をしなくてはいけません。これが自分の話であればどっちに転んでも自分次第なのですが、自分ではない上に“我が子”という大事な存在の選択を担うのですから、簡単に決断できるものではありませんでした。

結局どれだけ考えてもその時点では正解は出ないので、一番現実的であろう選択肢を“一旦”選んで、学校に話を聞くために連絡をしました。アポが取れたのは、2018年12月4日。「WESTV!」のアルバムが手元にくるまさにその日でした。


当日は朝からとにかく緊張、緊張、緊張。
まだ“一旦”のつもりだけど、学校側に意思を伝えることで、そういう方向で話が進んでしまうんじゃないか、それで良いのか、今日行ってしまうことは正解なのだろうか…と、揺らいでしまう状態でした。

ただ、緊張で苦しくならずにいられたのは、「今日、重岡くんが初めて作詞・作曲した曲が聴ける」という期待も頭の片隅にあったからだと思います。この“隙”を持てたのはやっぱり大事なことで、振り返って考えてみてもこの楽曲に救われた第一歩だったなと思っています。


学校に出向く前に「間違っちゃいない」だけ、曲の雰囲気がどんな感じなのかだけでも、とドキドキしながら再生をしました。


イントロがなく、
重岡くんのブレス音から始まる楽曲。


涙一粒 星降る夜に
光れない 馴染めない
なぜ同じ様に生きれないの


重岡くんが歌い出しだ…と思いながら聴いていたところに、その時の状況に痛いほどストレートに刺さる歌詞が突然流れてきて、固まりました。


なぜ同じ様に生きれないの


息子と他の子との違いを感じる機会や、うまく対応できなくて落ち込むことは常日頃ありました。ただ、よりこの歌詞に合った感情になったのがこの日の前日のこと。

学校には家庭での様子よりも保育園で集団生活をしている様子をお伝えした方がいいだろうと思い、担任の先生に事情を話して息子への困り事みたいなものをリストアップしていただきました。


自分でお願いしたものの、連絡帳を開いて愕然としました。そこには10項目以上の困り事が並んでいて、普段聞いていた部分はともかく初めて知ることもいくつか並んでいました。きっとあれもこれも言うのは…と今まで先生が気を使ってこられたんだろうなと、それを見て気づきました。

それだけ先生を毎日困らせて、もしかしたらお友達のことも困らせてしまっているんだと思うと、申し訳なさで胸が張り裂けそうになりました。

それに加え、こうやって就学について悩む方が近くにはなかなかいない現実。気持ちが落ちているときこそ、普段は考えないようにしてることも沸々と思い出されてしまうから苦しいものです。


間違い探しの世界で 赤ペン持つのかい
インクが足らないね

そこで当てはまるのがBメロのここの歌詞。この頃はまだまだ修行が足りず、定型発達の子と比べては違いを見つけて落ち込んでしまうなんてことは日常茶飯事だったので、またハッとさせられた瞬間でした。


理想と現実で結ぶ靴ひも 歩けるかな

とか本当に天才なんですよね。今でもずっと心の中に残っている歌詞の一つです。親バカ言うと、可愛くて可愛くて優しいところもあってユーモアもあって秀でてる部分もあって、“理想”以上の息子なんです。どのお母さんとも同じように、我が子が大好きなんです。でも、社会に出るとなると「発達障がい」という少数派を突きつけられてしまう“現実”。

きっとこれから、例えば就職するにしても選択肢はグッと狭まるでしょう。やりたいことがあっても特性で迷惑をかけてしまうからと最初から諦めてしまうことも出てくるでしょう。これまでも多々ありました。

誰かが決めた“普通”でいられないと生きづらくなってしまうのがやっぱり苦しくて、でも“靴ひも”結んで歩いていかなきゃいけなくて。誰に相談していいか分からないが故に孤独を感じてしまいそうなときに、この“共感できる歌詞”に触れるって、ものすごいパワーなんですよね。


この曲に限らずなんですが、重岡くんの書く歌詞って、情景や温度感がリアルに思い浮かぶ“具体的”な歌詞がある一方、広い意味を持たせることでよりさまざまな悩みに寄り添う“抽象的”な歌詞も多くて、その両方を兼ね備えてるところが最大の長所だと思っています。

聴く人の捉え方や悩みによって受け取り方は変わるけど、それぞれ今の自分と重なるような感覚にさせてもらえて、寄り添ってもらえた、救われた、支えられた…曲を聴くだけでそう思えることがどれだけ大きいことなのか、身をもって感じています。

今でこそこうやって分析して良さを語ることができていますが、「間違っちゃいない」のときはまだどんな歌詞の書き方をするか把握しきれていなかったので、自分の応援している人がこれほどの感性や価値観を持って歌詞を書くことにかなり衝撃(良い意味で)を受けたことを覚えています。


個人的には2番のBメロからメロディーが上昇していって、気持ちを高ぶらせたところでのサビで毎回絶対泣いてしまいます。

間違っちゃいないよな
消えたくなった夜も逃げたくなった朝も
まぁまぁカッコいいんじゃない
泣きたくて泣けなくて
“お疲れ”と夕日がほら 君は君で君なんだ
間違ってもいい 間違ってもいいんだ

この「間違ってもいい」という“肯定”側からのフレーズを使っているのは、特にこの曲の良さだと思っています。この歌詞に何度救われて、何度涙を流したか分かりません。


どうしようもないくらい
どうしようの繰り返し
誰が明日を知ってるんだ


ここなんて本当にこのとき必要としていた言葉で、“そうだよね、今思う選択を信じるしかないよね”と改めて思い直すことができました。自信が持てなくなって決断も揺らいでしまって、でもアポ取ってる時間は迫っていて。ガチガチになっていた私をスッとほぐしてくれた歌詞でした。この歌詞も、今でも何か壁にぶち当たったときに思い出して、共感して、心をスッとさせてもらえる歌詞の一つです。


今考えると本当に発売のタイミングが運命的だったなと思います。何だか背中を押してもらえたような気持ちで、前向きに学校に向かうことができました。

校長先生、教頭先生と三者面談をするという、なかなかのシチュエーションにも怯むことなく、しっかり話をして、聞いて、良質な時間を過ごすことができました。そこから体験や審議などに繋がっていき、進路が決まっていきました。

現在はもう5年生になりましたが、入学した頃からずっと、あのときの決断は「間違っちゃいない」ものだったと心から思っています。


校長室での三者面談というかしこまった時間からのこのジャケ写。アルバムなのにCMのように挟まれた「WESTV!ショッピング」などのトンチキっぷり。さっきまでの時間とのギャップにフフッとなって緊張感から解放される、トンチキってすごいですよね(?)



就学に関してはここまでなのですが、年長さんに上がってからはまた別の悩みに頭を抱える日々でした。

息子なりに卒園という“変化”を危惧してなのか、特性が強く出ることが極端に増えました。保育園に迎えに行くたびに、今日は大丈夫だったかな…とドキドキしながら教室までの階段をのぼっていたこと、今でも忘れられません。

でもやっぱりマイナスな報告を受ける日が多く、その度に親としてどうにかしなくちゃと焦りました。でも自分がそばにいられない環境での改善への糸口を探すのはやっぱり難しくて、そんな自分に無力さも感じましたし、その間に息子がどんどん疎まれる存在になっていくのを肌で感じていくのは耐え難いものでした。


抱えるものが大きすぎて、胸がザワザワして落ち着かない日も多々ありました。そのザワザワ、気が狂いそうになる感覚が耐えられなくて、一刻も早く逃がしたくなるんです。そんなときは息子が寝た後に反対側を向いて、この曲を聴いて、歌詞を頭に入れ込んでボロボロ泣く。これがお決まりになっていました。

何度聴いてもスッと入ってきて寄り添ってくれるその温かい歌詞と音に涙がどんどん出てきて、覚えてるほどの歌詞なのに改めて“そうだよね”って思わされて、泣くことってやっぱり大事なんでしょうね。ザワザワも不思議と落ち着き、また頑張ろうと思い直して寝ることができていました。

『間違っちゃいない』『間違ってもいい』すごく単純なフレーズでもあるんですけどね。そんな単純なフレーズですら誰かに言ってもらえる機会がなかったんだな、と今改めて思います。



そして息子が小学校に入学した頃(2020.6)、7人全員で歌う「間違っちゃいない。」が発売されることが決まりました。

元々「間違っちゃいない」は車でもよく聴いていて、息子はこの曲のことも3人で歌っていることも知っていたので、全員バージョンにも興味を示していました。

長いコロナ休校を経てようやく入学し、ついに勉強と向き合っていくタイミング。保育園の活動では失敗を恐れて見学を選ぶこともあった子なので、宿題などでの失敗にも敏感になっていました。

車でそういう慰め話をたまたましている時に『間違ってもいい』の歌詞の部分が流れてきたので、「ほら7人も言ってるよ~」と言ってみたんですよ。すると、「間違ってもいい…?」と、意外にも響いていたのが印象的でした。

いつも状況に応じて本人が必要としている言葉をかけたくて、自分の引き出しをブワァーと開けて対応してるんですが、まあいつもそんなに響いてないんですよ。特性ですし、人の言葉で方向転換するにはまだ難しい年齢なので、こっちも“気休め”のつもりではありました。だからこそ、この響く様子には驚きました。

もちろんそれですぐ次から考えを変えられる、とかではないんですが、脳に刺激を与えられたのは事実かなと思いますし、価値観を少しだけ柔らかくできたのは大きいことだったなと思っています。


2024年現在、息子もたくさんWEST.さんの楽曲を知って好みも出てきたので、先日プレイリストを作ってもらったんです。選んだのはたった20曲。その中に最近はほとんど聴いていなかった「間違っちゃいない」と「間違っちゃいない。」が入っていて、何だか泣きそうになりました…




この曲ができた経緯をパンフレットで読んだときは正直苦しくもなったので、“この曲に出会えて良かった”と手放しで言えるわけではないのも事実です。人生色々山あり谷ありある中で、“谷”の部分を重岡くんがさらけ出してくれたこと、経験したことを踏まえて誰かを助ける曲に進化させたこと、それを公開してくれたこと、すごく感謝しています。

重岡くんから最近よく聞く「力に変える」という感性が好きなんですが、まさにこの曲はそれを体現している楽曲だと思っています。




2022年には初めてのフェスで聴くことができました。曲名を言ったあとの会場の湧く様子(当時は声出しNG)に喜びを爆発させていた重岡くんの姿も忘れられません。

同じ年、初めてのドームツアーでも聴くことができました。念願の“ドームでの「間違っちゃいない。」


そして今年、2024年。WEST. 10周年。「間違っちゃいない。」が楽曲投票で2部門で選ばれました🏆中でも、私が一番受賞してほしかった“最強歌詞”部門で1位をプレゼントできたことがほんっっっとに嬉しかったです。

そしてそのおかげか、今年またドームで、重岡くんのグランドピアノと一緒にこの曲を聴くことができました。2年前と違うのは、声出しが解禁されてやっとファンと一緒に歌えたこと。念願叶って感無量な表情を見せていた重岡くん。また忘れられない景色が増えました。



この曲に自己肯定感を守られてきたこの数年で、私もだいぶ強い母になれたと自負しています。そして息子もめちゃくちゃ成長した!今思うと、やっぱりこの曲が発売された2018~2019年が一番重苦しかったなとすごく思います。

そんな時にドストライクな曲が発売されたこと、ライブに行けば生演奏と生歌でこの曲を聴けたことがどれだけ救いになったか。だから、今でもライブで誰かに寄り添おうと熱くなる重岡くんが大好きです


障がいはなくなるものではないし、これからも一生付き合っていくものではあるんですが、少しでも息子の生きる道を明るく照らせるよう、私もさらに強い母になる!



「間違っちゃいない」本当にありがとう。
これからもずっとずっとよろしくね。










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