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じいさんばあさんのパーソナルスペースが狭すぎて戸惑う

人間はそれぞれパーソナルスペースを持っている。これは、「自分が落ち着く空間」みたいなもので、
「これ以上は近くにこないでくれええ」
という物理的な距離感のこと。
この範囲は相手との心理的な距離感によっても左右される。要は、友達となら隣同士で並んで座れるし、恋人同士ならピッタリくっつける、知らない他人は隣に来て欲しくないってこと。

僕はこのスペースを他人とは広く取りたいタイプだ。

エレベーターで一緒になりたくないし、トイレで隣に立たれると出ないし、カフェで隣合わせの席しか空いてなかったら入店を迷う。

まあ知らない人にあまり近づかれると不快に感じる人は多いだろう。わざわざ他人の横の席に座りにいく人もいない。


じいさんばあさんを除いては。


今日はお散歩日和の晴れの日だった。電車で行くところをあえてバスに乗り、ちょっと遠いところで降りて、長く続いた陰気な冬に別れを告げ颯爽と歩いたのだ。ウキウキ気分だったんだ。その気持ちを引き連れてスタバに入ったんだ。人がまだ少なくて嬉しかったんだ。卒業して調子に乗り出す中学生たちもいなくてルンルンだったんだ。意気揚々とパソコンを開いたんだ。

なのに。なのに。

ばあさんが平然と僕の隣に座ってきた。いや他の席も空いてるじゃん。窓ガラス越しに外が見たかったのかね。それとも低い椅子より高い椅子が良かったのかね。それってパーソナルスペースより優先できることかね。
あと、もうちょっと席を全体的に向こうにやってもいいんじゃないかね。向こうの人と僕とのちょうど真ん中ぐらいに陣取ってくれよ。ほら、もこもこダウンがふわりと接してしまったじゃないか。僕と向こうの人との間ぐらいに陣取ってくれてればこんなことはなかったのに。こんなことを気にしてる僕をよそ目に美味しそうにケーキを食べてて羨ましい。

こないだトイレでもそうだ。
僕の隣にじいさんが立った。なんでよ。あっち空いてんじゃん。こちらは誰も隣に来て欲しくないから確率を下げるために壁側を選んだんだぞ。なんで壁とじいさんで俺を挟むんだよ。もう一個右で用を足せばじいさんのスペースも保たれて僕のスペースも保たれてwin-winなのに。そんなに限界だったかね。一個右に行くコンマ何秒を争ってたかね。特に向こうが汚かった訳でもないでしょうに。こんなことを気にしてる僕をよそ目にスッキリした様子で「ふう」と一息ついて羨ましい。


あの方々にはパーソナルスペースというものがないのだろうか。
それとも年齢を経て他人のことなぞ気にしなくなる境地なのだろうか。
はたまた、何も考えてないのだろうか。
ぱあそなるすぺえす?なんじゃそら?という感じなのだろうか。

喫茶店、トイレ、公共交通機関・・・どこに行っても僕のパーソナルスペースはじいさんばあさんたちの「老獪なてくにっく」に、いとも簡単に突破されてしまう。


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