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幻の外へ—スピッツ『猫ちぐらの夕べ』

日時・会場

2020年11月26日 19:00開演
スピッツ『猫ちぐらの夕べ』
@東京ガーデンシアター

セットリスト

恋のはじまり
ルキンフォー
空も飛べるはず
あじさい通り
スカーレット
小さな生き物

ハートが帰らない
猫になりたい
君だけを
僕のギター
猫ちぐら
フェイクファー

みなと
魔法のコトバ
正夢

初恋クレイジー
ウサギのバイク
ハネモノ


 壮大なビルが立ち並ぶ豊洲を出て、ゆりかもめに揺られ、有明テニスの森駅で降りる。ここにもキラキラと灯りのついた大きな建物が立ち並び始めていて、東京ガーデンシアターはそんな商業施設の一部として建っていた。なお拡張されつづける東京の中に飲み込まれるみたいにして私は入場する。

 接触可能性者追跡用のアプリの画面の提示をし、電子チケットの画面を自分で操作して"もぎり"を行い、アルコールジェルで手指の消毒をした。物販はオンライン限定で会場販売はなく、記念撮影ができそうなオブジェも今回ばかりはなかった。

 3階席まであるこのホールは8000人を収容する、アリーナクラスに近い箱だ。けれども奥行きではなく高さで以て座席を確保している形式で、人数を聞いて想像するよりは遥かにあたたかみがある。「ちょうど猫ちぐらみたいだ」とマサムネが言った通りのかたちをしていた。席は左右を開けて割り当てられ、定員の半数に抑えられていたのも、なんだか猫みたいにゆったりのんびり座れて良かった気がする。ほんとうは普段からそれくらいゆとりがほしいような。

 19時。シンプルに編み上げられたセットを背負って、めずらしく白黒モノトーンの衣装で合わせた5人が出てくる。声を出せず、立ち上がれもしないけれど、わあっと拍手が起きる。重たく響く低音。思い出せないのは君だけ、の歌い出し。久々のライブ、少し揺れるピッチ。「恋のはじまり」でスタートした。

 スピッツの恋の歌はいつもどこか虚しくて儚い。美しくて素朴にきらめいて響くけれど、恋やら愛やらがどうしてそう見えるかの真実の気配がいつもすぐそばに佇んでいる。

 この時間、夢みたいに楽しくてわくわくするようなライブの空間と、その外側にある2020年の社会とのなりたち方にも少し似ている、と、恋のはじまりが鳴ったとき、思った。
 ああ、ここは甘やかで安全で外の世界と隔絶された幻みたいな猫ちぐらなのだ、と。

 そのあとに続いていった『魚』『ハートが帰らない』『フェイクファー』たちは、どれもだれかに恋い焦がれての行為を「作り話」「都合良すぎる筋書き」「ウソであってもそれでいい」「偽りの海」と表現し、それでも良いからどうか、と歌う。
 それらの中に舞台上とこちらとを繋ぐようにも感じられる『僕のギター』が入っていたのが切ないようで、様子が少し違って見えてきた部分でもあった。これは現実を「偽り」と語ることが、決して恋を嘯き騙るのではなく切実に真実を欲望することの裏返しとして存在している人の音楽だからこそ感じられた、祈りの姿をした真実の光の兆しだったように思う。

 そして、終盤に入り『楓』を迎える。さよなら 君の声を 抱いて歩いていく、だ。ライブでだけ聞くことができる落ちサビ。ボーカルとギターのみでなぞられる、溶け切った糖衣。
 その先に『みなと』が待っていた。

 アルバム『フェイクファー』から18年、『醒めない』はあの時諦められていたもののことを改めて問い直した1枚だと思っている。フェイクファーのような紛い物の人工物でしかないと愛を切り捨てるのではなく、空想の生き物、モニャモニャのように飼い続けることができる、醒めずに追い求め続けることができるものとして、願い追い求める真実の関係性が描かれているように私には聞こえる。

 そのリード曲の『みなと』はフェイクファーにも収録されていた『楓』と響き合うフレーズが散らばっている。
 「他人と同じような幸せを信じていたのに」そうなれず、さよならと立ち去る『楓』。「すれ違う微笑たち 己もああなれると信じてた」を「君ともう一度会うための大事な歌さ 今日も歌う 一人港で」と受ける『みなと』。
 根幹にある捉え方はそのままだ。けれど、それを受けて自分はどう動くか、世界の中でどう立ち振る舞うか、が全く異なっている。生きていくこと、生き続けていくことに、誠実な姿だなと思う。

 そして本編の最後に、ここまで歌われた言葉たちを現実に立ち起こすかのように繋いだのが『正夢』だった。「どうか正夢 君と会えたら 何から話そう 笑ってほしい」「打ち明けてみたい 裏側まで」。これもどちらかといえば、一曲のみで聞く時には幻を追い求める虚しさを強く聞き取りがちであったのに、今日のこのセットリストの終わりに聞くと、ここまでで描かれた甘やかな夢たちを夢で終わらせないと、両足で地面を掴むように立ってまっすぐ前を見据えた力強い願いのように聞こえた。それはまるで、安心な空間として守られたこの猫ちぐらを会場の外に続くそれぞれの日常へと繋ぐようでもあった。

 音楽を鳴らし続けることの意味、呼吸が続くことの意味を、肌から染み込んだ音と言葉で感じた2時間だった。


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