容姿イジりについて
ご来訪頂きありがとうございます。
昨今、容姿イジりはタブーとなりつつあり、度々炎上していたりもします。
そしてこの状況は続いていくのでしょう。
ふと思うんです。
本当の正解は、例え容姿イジりがあったとしても、その周りが何故イジられているのか理解できない未来になった時じゃないかと。
例えば、Aさんが老け顔でBさんからイジられている状況があったとして。
Aさんの周りがその状況を見て“可哀想”と思ったとするなら、その周りも心の中でAさんの事を老け顔だと認識している事になります。
Aさんの事を心の底から1ミリも老け顔だと思っていないなら、Bさんに対して“何言ってるんだろう?この人”と言う気持ちが先に来るはずです。
心の中で思う事は自由ですが、思っちゃってる時点でAさんの本当の救いにはならないんですよね。
自分もどちらかと言うと、容姿をイジられる側の人間です。
イジられる側として、納得できるイジられ方、面倒に感じてしまうイジられ方と言うのは正直あります。
ですが、イジってくれる人の方が、ある意味で本音で向き合ってくれているとも捉える事ができるので打ち解けやすいです。
決して言葉には出さないけど心の中で見下されている方が個人的には傷つきます。
傷つきますし、気も遣います。
イジってくれる人の方が、見下していたとしても言葉で発している分どれくらい馬鹿にされているのか分かるので、こちらの立ち位置も図りやすい。
心の中で見下されている場合だと、程度が分からないのでこちらもどれくらいへりくだれば良いか難しいんですよね。
ゆるキャラ程度で見下されているのか?
ゴミくらいまで見下されているのか?
なので、イジってくれる人の方が、カラッとした付き合いができます。
人それぞれでしょうけど、自分の場合はそうです。
だから、本当に救いが訪れるとするなら、心の中でも容姿イジりをしない人間社会がやってきた時です。
しかし、きっとそんな未来はやって来ないでしょう。
だって、人間は動物なのですから。
より良い子孫を残す為に見た目で判断されるのは仕方のない事です。
むしろ、人間として生まれているので、見た目以外の部分を言葉等でアピールしやすいのは幸せな事であるのかもしれません。
欠点を欠点のままで生殺しにしておくのか、一つの個性として自分も周りもポジティブに扱うのか。
イジりで個性を活かせる世の中になる事を願って。
ではまた。
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