大丈夫大丈夫。
また間があいてしまった。
月1みたくなってるな…(;^ω^)
爆風スランプの『45歳の地図』という曲がある。10代、特に中学生のころ、私は爆風スランプが好きでよく聴いていた。
なんでこの曲を久々に思い出したかってそれは。
私は今年の9月に45歳になるのである。
ひええええええええええええ。
まじかー(おいこら)
45歳だってー。
どうしよう(は?
爆風スランプの『45歳の地図』を初めて聴いたのは確か中3だったか。30年前。地味で冴えなくて生き方が途方もなく下手くそだった(今もだけどな…)。
“私の青春を返せ
輝くときめきを戻せ”
この出だしを聴いたとき、
(45歳になるとそんな風に思うのか…)
と、思った記憶(ちょっとうっすらだが)。
あれから30年。
“気がつきゃ45歳 仕事浸けの中年よ”
はい、そうなってましたよ。
私45歳になったらどんな風になってるんだろう。結婚して子育てしてるのかな、仕事は何してるのかな…なんて少しは思っていただろうか中3の私。
はい、30年後の2020年現在の私、仕事はしがないCPです。子育てどころか結婚をしてません。30年間モテ期なんぞなかったしな。しかも2020年5月、世界は新しいウイルスと戦っていて日本はまだ自粛生活中。しかし私は普通に仕事に行っている。1990年にはそんなウイルスなかったもんな。インフルエンザにはなりたくないなーくらいは思っていたかもしれないけど(ちなインフルエンザには30歳のときついにかかってしまった。二度とかかりたくない)。
あ、結局茨城から出ることなくずっと今のとこに住んでるぞ。で、CPになるのに大学院まで行った。そこは一応は頑張ったぞ。
でもスマンな中3の私。こんな未来って知ったら猛烈にガッカリして怒りに震えるだろうよ多分。
…と、ここまで書いてみて思った。
『45歳の地図』本家と私自身はかなりその“地図”みたいなのが違っている。
本家・爆風スランプの『45歳の地図』の主人公は、45歳で仕事浸け、息子は20歳になるがその息子に“お父さんみたいにはなりたくない”と中学の文集で全校に発表され、足が臭くて奥さんから靴を磨くことを拒否され、週末自分で靴を磨いている、ちょっと冴えないけどどこかにいそうな中年男性である。
一方の私、ボーッとしてたら気づけばもうすぐ45歳の独身、しがないCPで実家暮らし。40歳手前で友達(有名水戸サポ)のお陰でサッカー・水戸ホーリーホックが好きになり、週末はケーズデンキスタジアム他行けるアウェイのスタジアムに出没する(今年のリーグ戦の早期の再開を祈っている)中年のBBA。
同じ45歳なのにこの違い。
まあ『45歳の地図』は楽曲だしフィクションなのだが。
それにしても、中3の時にメンタルささくれつつもまだ少しは未来に希望みたいなのは持っていたであろう私が想像した未来とはだいぶ違っている。
それがいいのか悪いのか分からないけれど、少なくとも今の私は、30年前の私よりずっと、人生は楽しいと思えているのは確かだ。
『45歳の地図』の彼は♪私の青春を返せ~!と叫んだが、私はあんまりそうは思っていなかったりする。むしろ10代20代には戻りたくないくらいで。
いろいろ気づくの相当遅かったけど、これから楽しめることを思いっきり楽しめばいいやとは思っている。
私なりの『45歳の地図』が作れりゃいい。
希望は捨てずに。
なんでこんなことを書いたかって、何となくとしか言いようがないのだけど。
仕事で子どもたちとかかわることがそこそこ多いせいか、たまに昔の自分のことを思い出すことがあって、もしあのときの自分が今のこの状況の中にいたらどうしていたのか、と思った…というのはあるかもしれない。
先の見えない不安を抱えていても、案外どうにかなるし、平均よりずっと遅くなっても、人生楽しいと思えるときは必ず来る、だから大丈夫。
ひとりくらいそういうことを言ってくれる、家族でも友達でも先生でもない、なんかよく分からん大人がいてくれたらいいなと、自分なら思うんじゃないか、と、思ったのだ。
大丈夫大丈夫。
昔の私にも今の私にもそう言って、今日も明日もこれからも、なんとかやっていくのだ。
※歌詞引用
『45歳の地図』爆風スランプ 1990
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