レポートの書き方...内容以前の話
2023/08/27 奈佐原顕郎
大学生のための「レポートの書き方」的なコンテンツは本もウェブサイトも膨大にありますが, それらの多くは内容的な助言(問いの立て方や論の進め方など)です。ところが実際の学生のレポートの多くは内容以前のところで失敗しがちです。本稿はそういうところを指摘します。
指定された形式を守る
最も大事なのがこれです。内容が良くても指定された形式(ファイル形式やページのレイアウト形式など)から逸脱していたら台無しです。読んでもらえないかもしれません。よくある例は、
ファイル形式はPDFで, と指定されているのにMS-Wordのdocxで出す。
です。docxを指定する先生が多いので, レポートと言えばdocx, と思っている人もいるでしょう。「なんでこの課題だけPDFなんだ」とイラッとすることもあるかもしれません。しかし, 多くの指定には意味や事情があるのです。たとえばPDFならば再現性が(ソフトや環境に左右されにくく)高いこと, スマホやブラウザでも(特にアプリをインストールせずとも)見られること, 多数のファイルを結合しやすいことなどの利点があるのです。ちなみに私の場合は「MS-Wordをそもそも使っていない」ことが理由です(使えばいいじゃん、と思う人もいるかもしれませんが、いち私企業の製品を公的な組織で標準のように使うのは倫理的な問題があるのではと私は考えています)。
他にもよくある例は, 以下のようなものです。
縦置き横書き、と指定しているのに横置き横書き。
1本のファイルにまとめて出すように言われているのに複数のファイルで出す。
指定されなくても必要なことは自分で判断する
レポートを含めて, どんな文書も「タイトル」「著者名」「作成年月日」は必須だと思ってください。その理由は以下に書きました:
このようなことは課題で指示・指定されなくても書くべきです(ウェブインタフェースの窓に入力するレポートなら, 誰がいつ何のレポートを出したかがデータに自動で紐づけられるのでそれらを書かなくてもOKでしょうが, ファイルで出すレポートはその紐づけが容易に途切れますので書くべきです)。
そんなの課題を出すときに指示してよ, と思うかもしれませんが, 全てを事細かに指示するのはお互いに時間・労力の無駄です。その例が大学入試共通テストです。実際のテスト時間以外に, 事細かい指示をじっくりじっくり時間をかけてやるじゃないですか。「もうわかったよ、しつこいな、早くテスト始めさせてよ」と思った人は多いのではないでしょうか?あれは事故を起こさないためなのですが, それは「事細かく指示しないとちゃんとできない人がいるから」です。あれと同じことを大学の授業でもやって欲しいとは思わないでしょう。お互いの判断を信用して暗黙の了解でやることは社会を効率よくまわすのは必要なことなのです。
見やすく・読みやすく書く
学生さんの中には、「どんなレポートでも先生は丁寧に読んで評価してくれるだろう、それが先生の仕事だし!」と思っているでしょう。しかし先生も人間です。大量のレポートを限られた労働時間の中で読むのですから, 見にくい・読みにくいレポートは流し読みやスルーになっても仕方ありません。ですからレポートは見やすく・読みやすく書いてください。見にくい・読みにくいレポートはたとえば以下のようなものです:
(手書きの場合)字が読みにくい。上手下手の問題ではなく、雑、殴り書き。
(手書きの場合)行の平行が揃っていない。斜め上に行ったり斜め下に行ったり。
(手書き・ワープロともに)行頭が縦に揃っていない。インデントや字下げとは思えないほど大きくズレている。
(手書き・ワープロともに)余白や行間が無く、みっちり詰まっている。
写真やスキャンのクオリティが低い。特に多いのは自分の影ががっつり写り込んでいるもの。
長い文章を段落に分けずに書く。
中途半端でも提出する
忙しい、ヤル気が出ない、課題が重すぎるなどのために, レポートが途中までしかできなかったとか、満足のいくものが書けなかったということは多いでしょう。そういうとき, 「こんな中途半端なレポートなら出さない方がマシだ」と思うかもしれません。それは「完璧主義者」が陥りがちな危険な考え方です。いちどそれをやってしまうと, 次のレポートはもっと出しにくくなり, 結局はその授業の単位を落としかねません。
中途半端でもよいのでレポートは出しましょう。出すことで(低いかもしれないけど)評価はつきます。中途半端なレポートを見て教員は「今回の課題は重すぎたかな…」などと授業内容ややり方を再考することができます。そういう意味で「中途半端なレポートにも価値はある」のです。
ただし、人のレポートを(過去の先輩のものなども含めて)丸写しにしたような不正なレポートなら出さないほうがずっと良いです。不正は発覚すると大きなペナルティがあるだけでなく、本人以外の学生と教員の間の信頼関係も壊しますし、たとえ発覚しなくても本人の心に罪の意識が重い傷となって残ります。