目的のない出会い
「ナナメの関係」について、このカフェゼミで話を聞くまで深く考えたことがなかった。先輩や上司がタテの関係で、友達がヨコの関係であるというイメージがあった。でも先輩だからタテとか、友達だからヨコとかではなくて、真面目な話ができる人、想定外なことが起こりうる人なら「ナナメの関係」だと言えるんだと感じた。
私に「ナナメの関係」の人はいるのだろうか。実際、私は高校からの友達と会うと毎回のように将来のことを真面目に話す。そう考えると、その子とはナナメの関係でもあったのかもしれない。ヨコでもありナナメの関係でもあったのかもしれない。しかしその子とは親しい仲だから、何でも話せる仲だから、真面目な話もするだけかもしれない。そこに想定外なことが起こる機会は少ないのかも、と思った。
このカフェゼミはどんな人が来るか、どんなお話ができるかわからない。だからカフェゼミで出会う大学生や社会人の方とお話するのはナナメの関係と言えるのかなと感じた。
そして昨日、ゼミ生に誘われて芝の家に行ってきた。(芝の家は地域交流の場づくりプロジェクトで、誰でも目的がなくても入れる場所だ。)そこでは二人の中学生の女の子が遊んでいた。一緒に行ったゼミ生と久しぶりに会ったらしく、女の子たちはとても嬉しそうにはしゃいでいた。中学校での勉強、部活動、塾、夏休みの話などたわいのない話をしていた。中学生の女の子二人と大学生。その関係はタテでもヨコでもない、まさにこれが「ナナメの関係」だ!と感じた。きっと女の子たちはゼミ生を大学生だからとか深く考えず、ゼミ生自身と接したくて話しているんだろう。私は女の子たちと接して自分が中学生のときを思い出した。自分も成長しているんだなぁと当たり前のことを感じた。その後、女の子たちは塾があるため帰っていった。そのときに芝の家にいたみんなが「いってらっしゃい」と声をかけているのがいいなぁと思った。
芝の家を運営している方も、「芝の家は予想外の出来事や人と出会える」とお話していた。そのとき今回のカタリバのキーワードである「想定外」という言葉が思い浮かんだ。何が起こるかわからないからこそ発見がある。芝の家へ行ってその通りだなぁと思った。若者による地域交流について学んでいる大学生や、佐賀県で誰でも来られる居場所を作っている女性、運営している方の同級生と出会った。遠くから来てくれる人もいるんだ!とびっくりした。本当にどんな人と出会えるかわからないんだなと思った。芝の家についていろいろお聞きしたり、地域交流や芝の家っていいね〜!など、みんなでお話した。こういうのもナナメの関係かな〜と思いながら。
こうやって芝の家に行ったり越境したら、予想外の誰かと出会えたり発見があるんだろう。高校生のときは毎日学校へ行って部活をして帰る。その繰り返しだ。私の高校時代の行動範囲はずっと同じ範囲だったと気づかされる。まさに「閉ざされた世界」である。では大学生は「開かれた世界」なのだろうか。高校生のときよりは明らかに自由になった。しかし自由だからこそ自分が行動しないと何も起こらないと一年間大学生活を過ごして感じた。私はまだ「開かれた世界」に入っていない。高校時代だって、もしもカタリバや芝の家に行っていたら、自分のコミュニティは広がっていただろう。越境活動すると、こういう人もいるんだとか、私も頑張ろうという刺激をもらえる。こうやって少しずつ行動すれば「開かれた世界」へ入っていけるのだろうか。そして真面目な話を真剣にできる友達や知り合いをもっと増やして「開かれた世界」へ入りたい。
芝の家はみんなの居場所な感じがして、はじめて行ったけれどすごく楽しかった。「ナナメの関係」っていいなぁと思った。