リアルを極めた平凡な物語「世界でもっとも美しい別れ」。丁寧なお芝居を味わう4時間。(感想・独り言。)
ときおりどうにも眠れない夜がある。そんなときにはすっぱり諦めて、テレビの前に座ってしまうことにしている。昨夜もそんな夜で、暗闇でハーブティを入れていたら、足にこぼして「アチっ」となった。氷嚢で足指を冷やしながら見たのが「世界でもっとも美しい別れ」。1本だけのつもりが、あっという間に4時間分を一気見してしまった。そんな話。
韓ドラ「世界でもっとも美しい別れ」
あらすじ:平凡な主婦 インヒ(ウォン・ミギョン)は、仕事一筋で無口な医者の夫、オールドミスでキャリアウーマンの娘、医学部を目指し二浪中の息子、認知症の姑を支えながら、日々奮闘している。最近になって体調の優れない日が続き、近所の病院で薬をもらって飲んでいた。ある日、婦人科で検査を受けると、末期と予想される卵巣がんが見つかる。体調が悪いという妻の訴えを軽くあしらっていた夫チョル(ユ・ドングン)は、後悔とショックで自責するが・・・。(ホームドラマチャンネルサイトより)
※ねぇ、ちょっと。「オールドミス」って・・・w
ーーー以下、視聴後のひとり後夜祭ーーー
ガンに侵された妻であり嫁であり姉であり母である女性との別れを、描いた物語。
つまり誰の身に上にも降りかかるこの地球上で無数に起こっている平凡なできごとを、計4時間でつづったドラマだ。この長さでドラマティックなところはない。まったくない。なのに間延びしない。だからすごい。
インヒ(ウォン・ミギョン)は、心根がとてつもなく優しい人だ。家族に尽くしているように見えて、おそらく自分の心のままに行動している。
高校時代の友人とのおしゃべりで、家庭での彼女の立場に同情した友達が姑をくさすシーンがある。女子がやりがちな相手の気持ちを代弁して楽にしてあげようっていう、あれだ。そんなとき彼女は「それは言い過ぎよ」とたしなめる。機に乗じて悪口を言ったりしない。自分の中にしっかりした軸がある。こんな人になりたいわ。ふにゃふにゃのわたしにはムリだな。
夫のチョル(ユ・ドングン)は、気難しく融通が利かない。コミュ力も低い。いや、この人ほんとひどい。プライドが高く、頑なで、術後の妻を見舞うことすら思いが至らない。前半はずーっと憎たらしかった。やだよー。こんなのが父親だったり夫だったりしたら。
このチョルがどれほど自覚なくインヒに甘えて生きていたのかが、丁寧に説明されていく。妻の病気を医者でありながら受け止められず、拒絶から悪あがきを経て、いずれ来る妻の死を受容していく。
ここまできてわたしはやっと「いや、市井の人間というものは、こんな風にふがいないもんだよな」と思い至った。
この夫の気難しさと融通の利かなさをうまく表現しているなーと思ったシーンがある。
妻がひとりで施工業者とやりとりして完成間近までこぎつけた新居を、夫チョルがひとり訪ねるシーンだ。
新居を内見しに行くというのに、彼の手には出勤に使っているビジネス用のドキュメントバッグがある。
バッグをTPOによって替えたり、なんなら手ぶらででかけるなんてことはできない男なのだ。彼にとっては出かけるならそれを持つのが当たり前で、それまでの長い人生で「あなたそんな仕事用のバッグに何を入れていくの?」と聞いてくれていたのは、おそらく妻だ。
秋が深まった新居へ続く道を、使い込んだビジネスバッグを持ってひとり進んで行く様はわびしく切ない。ただ歩いていくシーンだけど、あのバッグのチョイスに彼の頼りなさを感じる。
このドラマはまるで映画のような映像も魅力だ。随所に抜けるような黄色のイチョウの葉が降り積もった様が出てくる。その絵葉書のような美しさはそのまま、死にゆく人の目に映る「この世界すべてがかけがえなく、いとおしい」という視点に見えてくる。そして、家族の要であったこの女性のかけがえのなさも、しみじみと感じさせてしまうのだ。
ああ、なるほどね。制作はスタジオドラゴンだ。そうか。この映像の美しさ。
インヒの不治の病を知るまでの家族といえば、姑は認知症で汚物を投げつけるほどの病状で、夫は返事すらしないほど妻への思いやりが見られない、長女は仕事は頑張っているがクズ男と不倫中で、甘えん坊の長男は医大を二浪して合格発表待ちで遊び惚けている、実弟はギャンブル中毒で嫁のお金をむしり取っていく。つまりみんな自分勝手に生きている。そのすべてをハブになってつないだのがインヒだった。小言を言いながら、それをたいした不平に思う様子もない。この辺の人の良さをウォン・ミギョンが過不足なく演じている。社会の中で大きな手柄をたてることはなかったかもしれないが、この女性は確実に周囲の人にとっての大きなピースであった。そう感じさせる。
妻の死に際して迷子のようなチョルに、「余命を知らせることで、本人や周囲の人が償いをする機会を得られる」と助言するのは、チョルの同僚医師でありインヒの友人でもある女性。驚いたのはこの聡明でおもいやりのある女性を演じたのがキル・ヘヨンだったこと。
「よくおごってくれる綺麗なお姉さん」では、視聴者すべてを敵にまわすモラハラ母で、彼女はあやうく私の頭の血管を切りそうになった。(演じていた本人も「あまりにひどい人物なので演じるのが辛かった」と後述したらしい。)それが、ここではまるっきり別人なのだ。この人すごい。なんとまなざしと思いやりの深いことよ。ちょっと調べてみたら、いくつもの映画賞を受賞しているのね。さすがです。
キル・ヘヨンに限らず、このドラマの役者は芝居が素晴らしかった。繊細に心のヒダを表現する。前半の偏屈夫のチョヒは嫌悪感を抱かせるのに、いよいよ決定的にインヒの死期が迫り腹をくくると、少しずつ人間らしさを示すことを覚えていく。
認知症の姑を演じたのは、キム・ヨンオク。よく財閥の女会長を演じる人で上品な役柄が多い。ところがこのドラマでは尿瓶を振り回し汚物がついたおむつを投げる。目の動きで認知が低下しているのを感じさせる。そこに一瞬の油断もない。
ギャンブル狂いの弟の妻を演じたヨム・ヘランもいい。「トッケビ」でヒロインを虐めるイモの役を演じていたが、ここでは脊髄反射で思ったことを口に出してしまう、しかし気の良い働き者の女を演じている。なんとも憎めない人間を浮かび上がらせた。
あ、ミンホはかわいい。撮影時26歳だったはずだが、浪人生の役が違和感なし。刈り上げた細いうなじのせいか。
韓国ドラマあるあるだが、習慣の違いや恨みの感情の強さ、利己的なふるまいの描き方に拒否反応を示してしまうことがある。すぐ人の髪つかんで「ヤー」とか言うし。ドラマとしてデフォルメしているんだろうと思っても、ここにひっかかって視聴から脱落しがちだ。
ところが今作は、「家族と死」という普遍的なテーマのせいなのか、まったく違和感を覚えない。
いや、違うなリアルを追求しているのだ。ドラマティックに見せることなく徹底的にリアルをめざしたのではないだろうか。
身近な人を日常でおろそかにすること、だけどその人はとてつもなくかけがえのない存在である、という当たり前のことを、説教臭くなく伝えてくれるのだ。リアルな芝居とリアルな演出の勝利だ。
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