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【美術ブックリスト】『 メディア論―人間の拡張の諸相』マクルーハン著

一時と比べると下火になった「メディア論」の古典中の古典。
テレビ、ラジオ、広告、自動車、活字といった多様なメディアの本質をさまざまな例を挙げることで語っていく。電気が時代の最先端技術となった頃に執筆されていて、かろうじてコンピュータやオートメーションまでも射程に入れている。
著者のハーバート・マーシャル・マクルーハンはカナダ人で、もともとニュー・クリティシズムを論じる英文学の教授だったが、メディア研究によって一躍話題の人となった。
「メディアはメッセージである」とは、伝えられる内容ではなく、その乗り物であるはずのメディアがすでにメッセージをはらんでいると主張。またメディアは人間の身体の特定の部分を「拡張」したものであり、十全に情報を伝える「ホット」なメディアと、伝える情報が曖昧だったり十分でないため受け手の補足を必要とする「クール」なメディアに分けた。
項目を立ててそれぞれのメディアを一つ一つ解説していく。
ここまでが概要。

ここからが感想。
本書に対する批判はこれまで大きく2つあった。1つは論理的でなく、論文の体をなしていないこと。もう一つは思いついた例を羅列しただけでまとまりがないこと。正直、私も同じ感想をもった。関連する(と著者が思う)例を次々と挙げて、それによってそれぞれのメディアの特性を表示する方法は、ある種の分裂気質の思考を感じる。博学ではあるが、そこに筋がない。「そういえばこれも」と次から次に話題を変えていく井戸端会議的でもある。
それでも意義があるのは、現代人が置かれた環境についての新しいアプローチに見えたからだろう。

さて、ここから私の本質的な批判。メディアと言っているが、要するに道具であり、それが人間の生を拡張しているというのは、反論の余地がない。当たり前だからである。当たり前すぎてそこから何も引き出せないほどだ。メディアつまり媒体という言葉の新しさと、ホット/クールという新奇な概念が、60年代には目新しく感じたられたとの想像はできるが、それによって何かが分かったというと怪しい。
そもそも人間は道具を使って環境を整え、そうして人間の感覚や行動を拡張してきた歴史がある。石斧からナイフへの進化、活字の発明、電信、飛行機、コンピュータと常に人間自身を拡張してきた。それは役割と機能によって、またそれが実現した環境の変化によって意味が計られる。

メディアとか媒体とか言いたがる人ほど、写真や映像、今ならCGといったその時代の新しい技術に陶酔している。その新しい媒体を、古い用語で語りたくないのだろう。そこで新しい概念装置に飛びつくのだと思う。それによって何かあたらしい知見が得られればいいとは思うが、実際はそうではなく、ただ流行の言葉を生み出したにすぎない。そしてそこにはいつも、人類の歴史的発展つまり古い人間より、自分たち新しい人間の方が進化しているという思い込みがある。

ところで芸術についての言及がいくつかあったのだけど(それを探すのが目的で読んだのだけど)、具体的に何を指しているのかがわからず、私の中で話が噛み合わなかった。断片的な事象をいくら集めても本質には届かないことを改めて感じた論述だった。

384ページ 6380円 みすず書房

第一部
はしがき
1 メディアはメッセージである
2 熱いメディアと冷たいメディア
3 加熱されたメディアの逆転
4 メカ好き  感覚麻痺を起こしたナルキッソス
5 雑種のエネルギー  危険な関係
6 転換子としてのメディア
7 挑戦と崩壊  創造性の報復

第二部
8 話されることば  悪の華?
9 書かれたことば  耳には目を
10 報道と紙のルート
11 数   群衆のプロフィール
12 衣服  皮膚の拡張
13 住宅  新しい外観と新しい展望
14 貨幣  貧乏人のクレジット・カード
15 時計  時のかおり
16 印刷  それをどう捉えるか
17 漫画 『マッド』——テレビへの気違いじみた控えの間
18 印刷されたことば  ナショナリズムの設計主
19 車輪、自転車、飛行機
20 写真   壁のない売春宿
21 新聞   ニュース漏洩による政治
22 自動車  機械の花嫁
23 広告   お隣りに負けずに大騒ぎ
24 ゲーム  人間の拡張
25 電信   社会のホルモン
26 タイプライター 鉄のきまぐれの時代へ
27 電話   咆哮する金管か、チリンとなる象徴か
28 蓄音機  国民の肺を縮ませた玩具
29 映画   リールの世界
30 ラジオ  部族の太鼓
31 テレビ  臆病な巨人
32 兵器   図像の戦い
33 オートメーション 生き方の学習

訳者あとがき
メディア研究者のための参考文献

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