連載小説|寒空の下(15)
ショッピングモールに起こった革命によって自由を失った。仕事を続けていくのがいよいよ辛い状況に立たされた。そんな時に、パチンコ屋からチリの大詩人が出てくるところを目撃した。渋い茶色のハンチコック帽を被り、同じ色をしたセットアップを身に付けていた。何かを呟きながら歩いていた。きっと歩きながら詩を作っているに違いなかった。当然ながら仕事を放棄し、彼に話しかけにいった。
「あなたの詩が好きです」
「俺のこと知ってるのか?」
「会えて嬉しいですよ、ちょうど働き過ぎて窒息しそうなところだったんです」
「お前、このショッピングモールで働いてんのか?」
「ええ、前まではもっと楽しかったんですけどね」
「そうか、俺が話し相手になってやるよ」
どういうわけなのか終始分からなかったが、ネルーダは日本で生きていた。そして俺が働いている間はずっとパチンコ屋にいた。その合間を縫うようにして俺の側までやって来た。一度も詩を朗読したりはしなかったが、時間を忘れさせてくれた。
「君は学生か?」
「ええ、留年しちゃったんでまだ学生っすね」
「落ち込んでるのか?何か元気ないぞ?」
「別にそういうわけじゃないですけど」
「そうか、でもな若いってことはそれだけで素晴らしいことだぞ?そういう時期は長くない。楽しめるうちに楽しんどけ。若くたって明日どうなるかなんて分かったもんじゃないんだから」
「それは詩ですか?」
「何言ってんだよ」
ろくに仕事もせずに長話をしていると木下が巡回にやって来た。俺は彼に見つかり連行されてしまった。ネルーダは心配そうに俺を見つめた。俺は親指を立てて「大丈夫」とサインを送った。そのまま控え室に戻ると藤本が待ち構えていた。何を言われるかは分かっていた。できるだけ目を合わせないようにした。話しかけるタイミングが掴めず当惑している様子だったが、俺が椅子に腰をかけて胸元から煙草を取り出すと、ようやく口を開いた。
「この部屋は禁煙ですよ!」
「分かりました。じゃあ外に行ってきますよ」
「それに、勤務中に仕事と関係のない人と話をしないでください」
「しょうがないでしょ、有名人がいたんだから」
「誰だか知りませんけど、ちゃんと仕事をしてください!自分のやってることが分かってるんですか?」
「はいはい、分かりましたよ」
煙草を口にくわえ、ライターで火を点けると控え室を後にした。辺りの街はすでに真っ暗だった。北風が嫌がらせのように強く吹き、肌が痛いくらいに寒かった。
*
翌日からネルーダの他にもパチンコ屋に出入りする連中と関わり合いを持つようになった。小さなアルミ製の剣玉でずっと遊びながら歩く人。他人の落した財布を拾って交番とは反対方向に走り出す人。一時間おきにパチンコ屋から出てきては出入り口に向かって空のピッチング練習を繰り返す人。とにかく変人ばかりだったが、彼らにはどこ知れぬ勢いというものがあり、強く惹きつけられた。隙をついては持ち場から離れ、彼らと話をした。おかげで長い労働時間が少しばかり短く感じられた。そうでもしないと病気になってしまいそうだった。お酒もダメ、煙草もダメ、サボりもダメなんて、人権蹂躙だ。
とはいえ、パチンコそのものには手を出さなかった。賭け事をしている人間を軽蔑するつまりはまったくなかった。俺こそがもっとも深みにはまる人間だと分かっていたから意識的に避けていた。俺は快感に弱い。一度快感を覚えると、どんな代物であっても狂ったようにそればかりを繰り返すようになる。猿と一緒だ。
パチンコもきっと快感に変わる。激しく支配するに違いない。毎日どれだけ長い時間働いても得られるお金は僅かばかりだ。それを積み重ねていくことで俺は生きていこうとしている。だが、賭け事は積み重ねでしか手に入れることのできない金を一瞬で生み出す。楽して金を手に入れることができる。賭け事の味を覚えれば、働くことがあほらしくなって当然だと思った。どれだけ綺麗事を並べようが、今の世界でお金は必要だ。苦労して手にするより、楽して手に入れるほうがいいに決まっている。お酒も、娯楽も、愛も、全て金からできている。それを一瞬で手に入れることのできる快感。俺は警備員として、その快感に陶酔している人間を離れたところから眺めた。みんな首や腕の袖口がよれよれになった衣服を着ていたし、吸っているのは安物の煙草だった。
つづく
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