#01 セクマイの団体で何故かally(であろうとしている人)が代表になった話
ハロー皆さん。
にじいろCANVASの共同代表のままあひるです。
私のことを少しだけご紹介させていただくとしたら、二児の母で、保育士のパートをしていて、クリスチャンで、allyかもしれない者です。
allyです、とは言い切れないというか、それは自己判断出来ることではないのでは、と個人的に思っているので、このような表現に留めてさせて下さいな。
さて、私がにじいろCANVASの活動に関わるきっかけをお話しさせていただきます。
それは、遡ること4年前。
娘は中学校の生徒会活動をしており、女子の制服を変えたいという議案が持ち上がった。女子の制服はスカートだが、冬は寒く、また、痴漢や盗撮といった性暴力の被害に遭いやすいことなどを考え、ズボン着用可とすることを生徒総会で提案した。
しかし、伝統だから、みんなそうだから、など現状維持の意見が多数…
そんな中、1人の生徒から、『トランスジェンダーにとっては、自認する性の制服を着ることが出来ないのはつらいことではないのか』という声が出たのだという。
それでも、全体として多様な性についての理解が深まっていないこともあり、議案は却下となった。
悔しいと泣いて帰宅した娘。
そりゃ、なんとかしてやらねばと思うもので。
私は、己の持つ数少ない権力を使うことにした。
PTAクラス役員をしていた私は、行事の企画をすることができたので、翌年に多様な性の当事者の方に学校で講演をしていただけないかと提案し、学校からも他クラス委員さんからも企画の了承を得て『lgbt 仙台』で検索開始。
『ヒノヒロコ』という、黒い長髪の目のぱっちりした、可愛い人を見つけた。
写真から漂う裏側の何かに惹かれて、彼女のSNSからウーマンオンリーイベント『LADY EDEN』のオーガナイザーであり、また、彼女のドキュメンタリーが放送される折でもあった(こちらは録画し保存しDVDに焼き現在貸出中)ので、視聴した。
ズキュンときた直感から、講演依頼のメールを送った。
(送信メール箱はすっきり空にしたい方だが、何故がその時のやりとりは大切に保管していて、読み返すとかなり一方的熱烈ラブレターにも見える)
ヒロコちゃんは『楽園』の立ち上げで奔走している中、講演依頼を快諾してくれた。
それから私の最推しはヒロコちゃん。
ちょーすき。(私信とストーカー宣言)
そして、もうお一方
『小野寺 真』さんに出逢った。
理容師であり、トランスジェンダー男性であり、性別適合手術をし戸籍も男性となったこと、当事者スピーカーとして講演もしているとのこと。
自身の仕事に誇りを持ち、地元愛がすごくある方という印象。
実際、熱い人。
この人の言葉を、聞きたい。
ヒロコちゃんへ送ったのと同様に、これまた熱い思いをしたため送信すると、真さんは私の思いを上回る熱量で快諾してくれたのだ。
彼はその頃、結婚式を控えてらっしゃるという大変お忙しい中に対応してくださり、本当にありがたかった(ほんとお幸せそうで何よりです惚気は私の心が潤います)
不勉強では、来ていただくお二人に申し訳ない、と、セクシャルマイノリティの様々な用語を知らなかった私は、多様な性について検索するようになった。
それはもう夢中になって、毎晩LGBTERを読み漁っては、掲載されている方の人となりに思いを馳せ枕を濡らした。私の涙腺は大事な時に仕事をしない。
お二人と顔を合わせ打ち合わせたのは二回だったが、二人の魅力の虜になるのに時間はかからなかった。
講演ではセクシャル用語の基礎知識から始まり、お二人の思春期の実体験を交えて、自分を大切にすること、自分らしく生きていいのだということを伝えていただいた。
二人の魅力は、参加者に伝わったことを断言出来る。講演に感銘を受けた保護者が感想を個人LINEに送ってくれて、さらに今度ランチで語りましょうよ、と、一緒に準備をした役員ママと3人で非常に有意義なランチ会を過ごし、ついには『命の母』というマイナー演歌グループのようなLINEグループを結成するほどに心を掴んだのだから。
その後、中学校生徒総会にて女子生徒がズボン着用を可とする議案は、2年越しで可決された。中高一貫校なので、高校生徒会も巻き込み学校全体で議論され、女子ブレザーに合わせたデザインのズボンが作られ、着用可となったのだ。
私はこのような講演会に成功した、失敗だったという結果はあまり考えなくて良いことと思っていて、子どもたちの意識に何かが引っかかればいいと思うし、それは速攻性があったり遅効性だったりすると思っている。
それについては長ーくなるので後半に語りたいと思うが、あの講演後、帰路を逆走しそうになる真さんを慌てて制止し、ヒロコちゃんと不安げにお見送りをして、震える声でLINE交換をお願いしたことを付け加えておく。
続く
【後編はコチラ】