<連載小説>片おもい 最終回
(エピソード-14) 旅立ち -2
――つぎの日、
朝三時前に起き出す。
ほとんどねむれなかった。
いまごろになって、彼女にたいするギネンが涌いてくる。
こころのなかのもうひとりの自分が言う。
『じつは、彼女とはそういう人間だったのだ。
気をもたせておいて、平気なかおで、ほかの男にいいよることだってできる・・、』
ああ――!、しかし!
これまでの杉のことばを、仕草を、おもいおこして、
うたがいをもった自分に、彼女のかんがえを計りきれない、
彼女がかんがえているであろうそこまで――およびつかない自分に、羞じた!
わたしは、このまま身をひこうとかんがえた。
感情にまかせて行動する自分だが、
彼女は、そうすることの愚かさを、
そのことによってひきおこしてしまうであろう結末の惨めさを、
――こころえていたのだ。
わたしは、つくづく……、あさはかでものたりない自分をおもった。
完全な、ひとり芝居だ!
そのとき気づいた。
彼女のためを思い、悩み、苦しみ、よろこんだり、泣いたりしたことは、すべて、自分のために行ってきたことではなかったか!
わたしに彼女は見えていない。
――いや、見てはいなかったのだ!
そこに……、カノジョのすがたを借りた、鏡に映った自分が視えた。
わたしは、どっと疲れがおそってくるのを感じた。
いや、憑きものが落ちるように、肩の荷がおちてゆくのをかんじた。
わたしは、学生服に着替え、
きのう買った勝負靴をはいて、
まだ明けやらぬ冷たい空気のなかに踏み出した。
屋島まで、四十数キロを歩き通すつもりだった。
――じぶんでわかっていた。
自分のためにあるいてゆくのだ。と、
夜明けまえの清んだ空気は、踏み出す一歩一歩をここちよいものにかえてくれた。
道すがら考えたのはもちろん彼女のことだった。
そして……、
屋島にむかって歩いている自分がうれしかった。
結果的には、自分のためにあるいているのだが、
傷ついた心を癒やすことが目的ではなくなっていた。
じぶんのなかで見縊ってしまった……彼女を、取りもどしたかった。
彼女はおそらく来ない。
それは、そのときにわかっていた。
わたしは、彼女をおもうじぶんを信じたかったのだ。
途中、小学校か中学校かの校庭の金網ごしに昼のチャイムが聴こえた。
向かっている先に山深い峠が見えていた。
その先に、船の出る港はあった。
――このままでは昼の一時に間にあわない。
バス停があったので、入学祝いに買ってもらった腕時計と時刻表とを見くらべた。
そこへ、屋島口行きのバスがやってきた。
新しい慣れない靴で歩いたために、足に十数個の豆をつくり、それをつぶしながら血まみれた足で屋島にたどり着いた。
思ったとおり、杉も男も姿を見せなかった。
そしてきのう、
「屋島に来っけん、ぜったいに出て来いよ!」と凄んでみせた自分を思いかえして、笑った。
とどうじに、わたしは、なんとも清々しいきもちになれた。
なにか、ふっきれたように感じた。
……と、ふと、この屋島の山々を歩いてみたくなった。
まだだれも踏み入ったことがないような場所へ行きたくなった。
バスに乗り込んで小一時間ほどがすぎるころ、峠のみえる場所にやってきた。
そこでバスをおりて、一張羅の学生服にもかかわらず、山のなかへと踏み入る。
それから一時間ほど歩くと、目のまえに美しい山(丘)が見えてきた。
木立が一本もない、芝生でおおわれたような山だった。
わたしはうれしくなった。
わたしの住む街では見ることのできない、美しいそのすがたは、
まるで、今の自分を象徴しているかのように見えた。
『屋島にヨウコソ!』と、歓迎してくれているようだった。
しかし、そう思ったのも束の間、この美しい景色に手痛いおもいを味あわされることになった。
遠目には美しい山だったが、近づくにつれ、そのほんとうの姿があらわれた。
――なんと、茨と岩だらけ!
しかしそれでも……、わたしにはうつくしかった。
わたしは学生服を脱ぎ、ウラに返して頭の上に抱えた。
そして、茨の棘が学生ズボンのセンイを引きぬいてゆくのもかまわず、茨の中を、岩を掴みながら登って行った。
何時間もの格闘だったように思い起こされるのだが、
頂上にたどりついたとき、身体は、噴きだした汗とキリ傷にまみれていた。
わたしは、岩の上にからだを投げだした。
空は、どんよりと重たく、今にも雨がおちてきそうだった。
くもが……、すぐ目のまえをながれてゆく。
こころは、みちたりていた。
からだが疲れているのに、よろこんいるようにさえ感じられた。
つめたい雨が、ひとつぶふたつぶと落ちてきて、キズだらけの肌に染みてゆく。
慌てるひつようなどない。
雨やどりできそうな場所などどこにも見つかりそうになかった。
否、
あまやどりなどしなくてよかった。
このまま、
つめたい雨にうたれていたかった。
あめのおとは、やさしかった、
ひとつひとつが、なにか、かたりかけてくるようにも聴こえる。
山なみをおおった草がゆるやかになびかれて、雨つぶの演奏がはじまる。
ヒバリが、そして名もしらぬ鳥たちが、おもいおもいに唄い、
カエルの合唱がそれを追いかける。
とおくにかすむ海岸線には、白浪がいくえにもかさなりあって、渚の奏でさえ聴こえてきそうだった。
こころのとびらをひらく……、
いろんなものがみえてくる、
あああ・・・
わたしは無性に叫びたくなった。
生きていることを――たしかめたくなった。
わたしはうれしかったのだ。
ここへ来れたことが、ここまで歩いてきたことが、
……そして、
彼女を、好きになれたことが。
了