<連載小説>片おもい -4
(エピソード-4) 二人の親友 -2
一方、佐竹との出会いは、というと……、
彼のことは一年生のときから知っていました。
彼もわたしと同じ陸上部だったのです。
陸上部に入部した当初は、まだおたがいはなす機会もなくて、
「よぉー、」とか
「おぅー、」とか、声をかけ合うぐらいのものだったのですが、ある日のこんな会話から親しくなってゆくことになりました。
その頃のわたしは短距離がとくいで、小学生まではだれにも負けたことがないことを自負していました。
ところが、地域の小学校数校があつまり千人を超える中学校になってはじめて走った相手が、よその小学校からきていた奴で、
そいつがまた、その後の長崎県の記録をつぎつぎに塗りかえてしまうほどの化け物のような速さで、
胸一つおよびませんでした。
わたしは泣きました。
生まれてはじめてあじわう挫折感。
それに負けて、みるみる足は遅くなり、
今まで負けたことのなかった相手にもつぎつぎに抜き去られてしまい、
とうとう、中距離の八〇〇メートル、そして幅跳びへと、転向を余儀なくされてゆきました。
そのときいっしょに練習をはじめたのが、長距離部に籍をおいていた佐竹だったのです。
佐竹は、
「津村、おまえん家どこや。」と訊いてきます。
「山上町」と答えると、
「なんや、そしたらオイん家にかえるとちゅうやっか!」
「佐竹の家どこや?」
「干潟浜さ、」
――しかしわたしは、その名前を聞いてギクリとしました。
当時、わたしたちの通っていた中学校は、悪名高き中学として知れわたり、市内の全中学をまとめる、いわゆる総番長と呼ばれていた人はこの中学の先輩でした。
そういった不良たちのあつまる溜まり場が、干潟浜とうわさされていたのです。
しかし、
「津村、こんど遊びにこいよ。サカナのいっぱい釣るっぞ!」
と、佐竹のその人懐っこいさそいにのって、
つぎの日曜日は、干潟浜に魚釣りにいくことになりました。
その日、買ってもらったばかりの新品の自転車に、父の釣り竿と魚釣りの道具をくくりつけて、
「おかあさん、干潟浜に行ってくるけん。」と、玄関先に出てきた母に言うと、
「昭人、あそこはあんまりよくないって聞くけど、ひとりで行くの?」
と、心配そうに見送る母。
――その母に、
「だいじょうぶ。友だちのおるけん、」
と、振りかえりもせずに、楽しいであろう魚釣りのことを思い浮かべながら、力強くペダルをこぎはじめたわたしでした。
昨日もらったナメクジを這わせたような地図によれば、佐竹の家は、干潟浜も一番奥のほうでした。
五分も漕ぐと、
右手に石油コンビナートや造船所があらわれ、左手に海がひらけてゆきます。
景色はしだいに工場の建ちならぶ工業地帯から漁村へとうつりかわり、
ところどころには、道端であそぶ子供たちがいて、
鬼ごっこみたいなことをしながらはしゃいでいるすがたは、噂とはまるでちがう長閑な光景にしか見えませんでした。
左手には、青い海と、岸につながれてちゃぷちゃぷ、チャプチャプ……と、ここちよい波の音にゆられている漁船。
右手には、おばちゃんたちの活気にあふれた笑い声と子供たちの無邪気な姿、
『だいやー!、ヒガタハマは不良のタマリバって言うたとわー。良かとこやっか!』
とおもった、そのとき――、
ヴァオオーン! オン、オン、ブオオオーッッ、オンオン!
爆音とともに数台の車とバイクがわたしの隣を横切って行った。
『ウおーっ! 暴走族やっか。格好よさーッ、』
と、あこがれの視線をおくるわたしの目に――、
しだいに広がってゆく視界の先に見えてきた真っ白な堤防にたむろする黒々とした塊‼
「ウソ!」
そこに、三、四十台もの車やバイクが集結しているではありませんか。
口の中に生唾があふれ、得体の知れない熱いなにものかに身体が呑みこまれてゆく――、
そこを通らなければ、佐竹の家に行くことができないのです!
『どがんしゅうー。
……ばってん、なんも悪かことばしたわけじゃなかとやっけん、
「すんませーん」とか
「通らせてもらいまーす」とか、
笑いながら通れば、なんもされんやろう。』
わたしは意を決し、むりやりの笑みをつくりながら、鼻唄を鳴らして近づいて行った。
見るともなく感じる視線には、よそ者に向けられる明らかな敵意が感じられる。
すると
「こんにちわー」とも
「すんませーん」とも、ことばが出てこない!
コンッ。カラン、カラン、
――右足のくるぶしに痛みが走った。
しかしわたしは、平静をよそおい、なにごともなかったように通りすぎようとした。
――が、
「こらーっ、またんか、ガキ!」
そう言って、一人の男がわたしの自転車の荷台をつかんだ。
わたしは、声が出せないまま相手を睨みかえす。
相手は高校生か。わたしにはまったく勝ち目のなさそうな相手。
「はなしてください。」言うと、
「わーが、どこん者か。格好ようすんな! オイどんば舐めとっとかー、」
などと息巻きながら、自慢の、電子フラッシャー付き(曲がる方向に連続して点灯する後部ライト)の自転車を思いっきり蹴飛ばされ、わたしまでいっしょに転んでしまった。
わたしはゆっくりと自転車を起こして、
「もうー、よかでしょう。」
と声の調子を殺して言った。
しかしこれが、ぎゃくに相手を逆撫でてしまった。
「――なんてかっ、おまえ!」
そこへ、
「津村ー、なんしょっとや!」
向き合った男のむこうに、佐竹が見えた。
「なんしょっとや、カンベ。そい、オイの友だちぞ!」
と、駆けてきた佐竹を見て、思わず泪が溢れた――、
とまあ、救世主にも見えたこの事件をきっかけに、佐竹は身近な存在になっていったのでした。
――というわけで、
それからというもの、杉の、気さくでさばけた性格も手伝って、
シンちゃんと佐竹とわたし、
それに杉とその友だちのエミちゃんと笹本さんほか数人の、なかよしグループができあがっていった。
そのころのわたしにとってなにより大切なこと……、
それは、受験勉強――。
であることなど、ありえなかった。
入試を目前に、勝ち残りを賭けて競い合う重たく沈んだ教室の中に現れた、あの日に見た杉の笑顔は、まるで……、暗闇の夜道に見つけた蛍火のようだったのです。
その瞬間から、真っ暗だった世界に灯りが点され、学校に着くまでの道のりが嘘のように明るくなって見えた。
そしてそれが、わたしばかりかシンちゃんも、好きな女の子ができた。と、打ち明けてくれたのでした。
グループの中に、黒髪に天使のような輪っかのできるエミちゃんという女子がいました。
エミちゃんは、クラスの副委員長をつとめていて、
「エミちゃんにまかせておけば、どんな問題も大丈夫」と、
だれもが口をそろえるほどクラスでの信頼度が厚く、
日頃の落ちついた行動とやさしさにあふれる笑顔からは、
高貴な香りすら感じられるのでした。
そんな、ちょっとおっちょこちょいなシンちゃんと、
それを上手くリカバリーしてあまりあるエミちゃんとの正・副委員長コンビが最高にマッチしていて、
まさに理想のカップルに見えました。
そしてさらに……、
このエミちゃんの大のなかよしの笹本さんに――、
佐竹が熱を上げはじめたのです。