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<連載小説>片おもい -8
(エピソード-8) 生い立ち -2
杉は、両親とお姉さんの四人家族で、十年くらい前までは、よその国に住んでいたそうです。
杉のお父さんはその国で生まれ、両親から取り残されてしまった残留孤児なのだそうで、
その国でお母さんと出逢い、結婚して、お姉さんと彼女が生まれて、
二人は日本人の施設にあずけられて育ったのだといいます。
そして、彼女が五歳、お姉さんが十歳のときに、
お父さんの祖国である日本に、身寄りのないまま、家族で渡ってきたのだそうです。
しかし、どこにもたよる縁のなかったお父さんは、
ちゃんとした仕事にも就けず、お姉さんと彼女は、日本でも施設に預けられて育ったのだそうです。
そしてそのころから、お父さんの酒ぐせが悪くなり、家に帰ってきても、目にするのは、酔いつぶれて荒れ狂う父親と、殴られても蹴られても、じっと耐えているお母さんのすがただったそうです。
そんなお母さんが、
「お父さんが悪いんじゃナイの。お父さんは、ダレモたよれる人のいないニホンデ、あなたたちをまもるタメに、必死にがんばっている立派な人ナンデス。それは……、あなたたちにもワカルでしょ、』
といつも、片言の日本語ではなしてくれたそうです。
しかし、杉が小学五年生のとき、酔った父親が、過ってお母さんに大怪我を負わせてしまい、警察ざたになり、家庭裁判になって、お母さんと二人は今の家に移され、お父さんとは離ればなれに暮らすことになったのだそうです。
その後、お母さんは、病気で耳も口も利けなくなり、こんど結婚するお姉さん夫婦がお母さんを看てくれることになって、彼女は、働いてかよえる学校を探して、寮の完備しているその高校を選んだ。
――のだそうです。
わたしは、じっと彼女を見つめていた。
「はずかしかことば、はなしてしもうたごとあるね。」
彼女の目がうるんでいる。
しずかな目――。はじめてみる彼女の泪。
彼女は洟をすすりながら顔をあげて、
「なんか、おかしかね。……どがんしたと、つむらくん。オイッ、コラ――、」
「なんで、なんでおまえだけ……、そがん苦労ばせんばとや!」
……わたしは、思わず彼女をだきしめた。
ふつうであれば、ましてや女の子であれば、とても人前でははなせないようなことを、他人のことのように、いや、他人ごとでもここまで平気な顔でははなせないような話しを……、彼女はいま、はなしおえた。
むねのあたりにやわらかなふくらみをかんじた。
それに……、さきほどふれたあたたかくてやわらかな掌。
……ほそいからだ。
わたしは、現実からはなれてゆくじぶんを感じた。そのとき――、
「イヤーッ、つむらくん、はなして!」
彼女は、信じられないような力でわたしを撥ね除けた。
顔が一変していた。わたしの肩のあたりをびしょびしょにぬらすほどの泪をながしていたのだ。
「どがんしたとや――」
わたしは恐ろしくなった。聞いてはいけないことを聴いてしまったのではないか!
「来んで! お願い、」
彼女は踵をかえし、わたしの視野から、そして意識のなかからも遠のいていった。
……それからしばらく、時雨に打たれていた。
五感がなにも感じなかったのは、おそらく、寒さのせいだろう。
夜九時ごろまで、だれ一人いないビショビショの公園で、杉の言ったことばを、なんどもなんども繰りかえしていた。
わたしを迎えにきてくれる杉を、待っていたかった。
――しかし、暗闇が、つめたい雨が、『独りになったのだ』と、おもい知らせた。
翌々日――
冬休みが明けて中学校最後の学期をむかえた。
まえの日、シンちゃんから電話があった。わたしは、シンちゃんの誘いを理由も言わずに断ってしまった。そして今朝、心配したシンちゃんからふたたび電話がかかってきた。
「津村、どがんしたとや。なんかあったと?」
「ごめん、シンちゃん。昨日はわるかことばしたね。」
「うんにゃ、そがんこと気にしとらんばってん。きょう、学校に来たときにはなしばしてくれんや。」
「……うん。……ありがとう。」
「ほんとうにどがんしたとや、元気だせよ。オイが今からむかえに行こうか?」
「よか、よか、そがんことしよったら遅刻するけん。……じつは、杉のことさ。オイ、どがんすればよかとかわからんごとなった、」
「あっ、津村、今、お父さんの会社に行かすところけん。津村の家まで送ってもらうけんまっとって、」
受話器の向こうで、お父さんにはなしかけているシンちゃんの声が聴こえた。
それから二十分後、車の音がして家のまえにきて止まった。
「ありがとうおとうさん。行ってらっしゃい。」と、シンちゃんの声。
玄関の上がりに腰かけていたわたしは、その声で表にでた。
そこに、国産高級車に乗ったシンちゃんのお父さんが見えた。
はじめて見るシンちゃんのお父さんだった。
「あっ、おはようございます。どうもすいませんでした。ぼく、シンちゃんとおなじクラスの津村といいます。」
「あー、真一朗からいつも聞いてるよ。
ばってん、津村くんは大きかね。クラスでも一、二ばんやろう?」
「いえっ、背の高かだけであたまはからっぽです。」
「いやー、そんなことはないよ。真一朗がいつも言ってるよ。
津村くんと佐竹くんは最高の友達だって。
津村くんも佐竹くんも真一朗も、高校にいっても、いつまでもなかようせんばね。」
「はい、それはもちろんです。」
そこへ、はなし声を聞きつけた母がでてきて、ふかぶかと頭を下げて挨拶をはじめる。
シンちゃんのお父さんも車を降りて丁寧にそれにこたえる。
シンちゃんもいっしょに。……そこにわたしも交じった。
かたくなだった気持ちが、なんとなくほぐされてゆくように感じられた。
そして、『シンちゃんや自分は……、しあわせ者なのだ。』と思えた。
過ぎ去る時間のはやい登校まえ、十五分ほどはなしこんでしまったシンちゃんとわたしを、車で送ってあげるよ。とシンちゃんのお父さん。
わたしは、シンちゃんに目くばせした。
シンちゃんは、
「あっ、お父さんよかよ。ぼくたち走っていくけん。」
「シンちゃんのお父さん、ありがとうございます。
走りよけば、からだも暖まりますけん。 どうも、すいませんでした。」
「いやー、仲のよかね、ふたりは」
そう言って、シンちゃんのお父さんとわたしの母が笑った。
わたしは言った、
「シンちゃん、ダッシュ!」そう言って走りだしたわたしを、
「ヨーシ!」と、シンちゃんが、目を剥いて追いかけてくる。
それから思いっきり走った。
ふりかえりもせずに走りつづけた。
答えになるものを見つけたかった。
十五分くらい走って、急な坂を登りあがって近づく校門の先に、体育館が見えてきて、その前に、靴ひもをなおしている生徒がいた。
わたしは校門を駆けぬけると屈んでいる生徒の上空を思いっきりジャンプして跳び越えようとした。
と――、
不意に立ちあがった生徒の肩に足が引っかかり、前のめりに飛んで砂利の上にすっ転んでしまった。
「ごめん!」すぐに立ちあがり、生徒のところへ駆け寄る。
どうやら生徒に怪我はなさそうだった。
しかしわたしの方はと見ると、学生服のヒジとヒザが破けて、切り傷から血が滲みだしていた。
まわりの視線を感じてすぐにその場を駆けだす。
途中、洗い場で、学生服をまくり上げてヒジとヒザを洗っていると、
「津村、どがんしたとや!」
シンちゃんが息せき切ってやってきて、顔をまっ赤に肩で息を弾ませる。
「まいったばい、」
そう言って、わたしは事情をはなした。
「見せてん。……うわっ、バッサイ切れとっやっか!
ひどかばいこいは、早う薬ばつけてもらわんば。
津村――、医務室に行っとって。先生ば呼んでくっけん、」そう言ってシンちゃんが駆けだす。
シンちゃんのうしろ姿を見送っていると、ちょうど、杉とすれちがうところが見えた。
シンちゃんは立ち止まり、わたしのケガのことをはなしているようだった。
口に手をあてる彼女のしぐさが見えた。
こちらにむかって走ってくる。
シンちゃんはそのまま職員室のほうへ走り去っていった。
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