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<連載短編小説>クレヨン・アイ -6

 顔を上げると――、
 そこに白くて大きな灯台がそびえ立っておりました。

 生まれてはじめて見る灯台は、白い小さなタイルを全身にまとい、しめりはじめた空の色を映して佇んでおりました。

 アイは、しばらくのあいだ、ただ黙って、遠くを見つめる灯台を見上げておりました。

 そして、
じっと佇む灯台におそるおそる訊ねてみました。

「……なにを、見てるんですか?」

 そのことばが届いたのか、それとも聞こえなかったのか、灯台は黙ったままでした。

 アイは、つぎにかけることばが見つからず、戸惑ってしまいました。

 しばらくがあって――、

「とおくだよ、ずっと沖のほうさ」
灯台は、独り言のように言いました。

「何が見えるんですか?」

「あー、なんでも」

「なんでも?
 えっ、それってどういう意味?
 どんなもの?」

「この世の……、過ぎ行くすべてのこと。」

「?、?、それって、たのしいこと?
 それとも、……くるしいこと?」

「…………」

 灯台は、それっきり黙ってしまいました。

 ただ一所ひとところに立ち、
アイの知らないつらいことや苦しいことにも、じっと耐えつづけてきたであろう灯台のすがたは、
美しくもあり、凜々しくもあり、
そして、おごそかでありました。

 アイは、そのうしろすがたを、胸の痛くなる思いでじっと見つめました。


               *


――一方、

 クレヨンの持ち主である人間は、
落としたアイのことなど気にも留めずに、黙々と、自然の色と向き合っておりました。

――今朝は、
朝陽を描きにでかけたが、
描かずに、
観察することにした。

……色の変化は何段階かに分かれていて、
徐々に明るさを増しながら、虹の諧調かいちょうを、黄色から赤へとエネルギーを高めながら、
昼ごろ最高潮に達すると、午後からはしだいに下りながら、
赤紫から紫へと変化してゆくのが分かる。

 しかもそこには、
それぞれの色の中の、
たとえば、日の出のころから明るくなる黄色の基調色きちょうしょくの中には虹色の変化があり、
その黄色の中にも虹色の変化が見て取れる。

 そしてさらに、

その中の黄色の中にも虹の変化が感じられ……、といった具合に、
それぞれの色の段階が、限りのない虹の連鎖として見えてくる。

 そしてそれが、観察しているところに見えている……、
というような見え方ではなくて、周りの色に応えるように現れてくる。
 つまり、部分としてそこにあるのではなくて、
それで全体の……、一つの生き物のようになって見えてくるのだ! 

 そこで今日は……、
黄色→紫→青→赤→オレンジ→みどり、へと進み、
あるいは……、
黄色→青→赤→紫と、従来のように進んだところで……

 その試みは、来る日も来る日も繰り返されてゆきました。


              *


一方――、

 あたりが急に暗くなりとつぜん空から水玉が落ちてきたので、
アイはあわてて草むらの中に潜りこみました。

 しばらくして水玉が止むと、
灯台のすがたがどんどんどんどん明るくなって、
その向こうのはるかな高い空に――、
大空をまたいで光り輝く、美しい橋が架けられてゆきました。

「ウワーッ、あれはなに⁉」

 生まれてはじめてみる光景に、
アイは息を呑み、
ただぽっかりと口を開けて見とれてしまいました。

「なんだい坊や……、虹も知らないのかい?」
灯台は、振り向きもせずに言いました。

「うわぁぁぁ~、あれが――虹‼」

 そこには、
アイの仲間と似た色たちが、光り輝く姿でありました。

「なんてキレイな色なんだ!
 なんて大きいんだろう。
なんて、なんて美しいんだ!

 綺麗だな~~、

 そうだ、
この虹を、みんなといっしょに描こう――!
 そしたら、みんなだって、きっと仲良くなれるに違いない。
 だって、だって、だって――、世界中のみんなが――、
きっと感動するにちがいないから‼」

 そんなアイの独り言を、聞くともなく聴いてしまった灯台は、

「ハハハハー、あはははははーっ!」
と、とつぜん笑いだしました。

 それは、灯台にとって生まれてはじめての出来事だったのです。

「ご、ごめんよ……、坊や。
こんなことはじめてだったから。

――坊や、
虹の美しさを知らない者など、この世界のどこにもいないよ。
 だって虹は、
お日さまがえがく、世界一美しい光りの芸術作品なんだから!
 それを……坊やが、
どうやって描こうっていうんだい。
まさかあれを、
世界中に持っていって見せてまわろうとでもいうのかい?
 あっハハハハッ――」

 そのことばを聴いて、アイはムッとなりました。

「なんだい、おじさん!
 何でも知ってるって言ってたくせに、
ボクらのことは、なーんにも知らないんだねっ!

 ボク、クレヨンって言うんだ!
 ボクやボクの仲間たちが集まれば、何だって描くことができるんだから‼」

「あハハハ、あはははは。
……坊や。
この地上に棲むだれも、
虹を描き現すことなんてできやしないさ。
だいいち、坊やたちがどんなに頑張ったところで、
その虹が、
世界中を明るくしてくれるのかい?
 そんな虹を見て感動できる者が、……いるとでも、
本気で言っているのかい⁈」

 灯台にそこまで言われ、
風に勇気づけてもらった自信も希望もすっかり失せて、
アイは俯いたまま、
顔を上げることができなくなりました。

「じゃー……ボクは、
いったい、なにを描けばいいの。
ボクは、
みんなに喜んでもらえる絵が……、
描きたいだけなのに」

 アイのからだから、色をつなぎ止めていたオイルが流れだし、アイは干涸らびはじめてしまいました。

 灯台は、そんなアイと、……夜とを、
交互に照らしながら、
不安げに見守ることしかできませんでした。

 アイは、
動けなくなってゆく体を灯台にあずけたまま、
言われたことばを胸の奥にぎゅっと抱きしめて、
闇の彼方に……、
届きそうで届かなそうなその灯火ともしびを見つめました。

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