【暇な大学生の学び】6 英語の教職
英語の教職の授業。
upされた動画を見てカタカタ感想を書く、
そんな授業だった。
教授の授業は去年もとっていた。60くらいの陽気な白髪のおっちゃん。今春から教育大の特任教授になったんやって。おめでとう。
中高一貫の女子校で先生もしていた教授は、ハキハキと明瞭な口ぶりで話し始めた。
「突然ですが、皆さんは自転車に乗れません」
画面には、い○すとやのかわいいタッチで描かれた自転車が映る。
「これがサドル。これはハンドル。これはタイヤ。」
この人の関西弁は耳が心地良い。
「はい、分かりましたね。じゃあ、乗ってみてください。」
…いや、乗れるかいな。部品の名前教えただけやん。
「…って言われても乗れませんよね?練習せんと乗れませんよね?
英語も同じなんです。練習して初めてできるようになるんです。」
さすが長年教壇に立っていた人は話が分かりやすい。めちゃ分かりやすい。
こうやって、女子校のギャルたちを手玉に取ってきたのだろう、知らんけど。
そんな敏腕教授の講義は、学習指導要領へ。
「英語は、母語の異なる人々の間をつなぐ国際的共通語として最も中心的な役割を果たしており、子供たちが21世紀を生き抜くためには、国際共通語としての英語のコミュニケーション能力を身につけることが不可欠です。また、このことは、我が国と繋がり、世界から理解・信頼され、国際的なプレゼンスを高め、一層発展していくためにも極めて重要な課題です。…」
(文部科学省「英語が使える日本人」の育成のための行動計画より抜粋)
へいへい。なんか難しいね。でもこれ平成15年の資料やん。なんか、うーん。
教授は次に日本の外国語教育がいかに他国から遅れを取り、
そしてその遅れを取り戻すために英語教育の目標がどれほど高度化しているのかを資料を使って説明している。
文部科学省の「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」では、生徒の英語力向上の目標として、英検2級・準1級レベルが求められているらしい。
うーん。違和感しかない。
ここでの違和感は大きく二つ。
まず、全員にこのレベルを求める必要があるのか。高校まででこのレベルにするには小学校での英語教育の拡充がより必要だろう。でも、小学校でそんなにする必要ってある?
あとは、この時代だからこそ、全員が英語を話せる必要があるのか。
平成15年のあの資料では、コミュニケーション力と英語を話す力が同一視されているように感じる。まあそうだろう。あの時代では。
同時翻訳技術の発展著しいこの時代、英語が話せなくても外国人と話はできるしチャットも楽しめる。すごい時代だなあ。自転車に乗れなくても、電動自転車ならすぐ乗れる。あんなん漕がんでええもん。
今もっと学ぶべきは、話すツールではなく、話す中で必ず見つかる違いや共通点ではないか。
国によって変わってくる文化やイデオロギーの齟齬や共通点を学ぶことの方が、
「我が国と繋がり、世界から理解・信頼され、国際的なプレゼンスを高め、一層発展していくため」に必要な気がしますけどねえ。
長くなってしまった。今日はハートがいっぱい付きますように。
【ハートが結構ついた記事と全然つかんかった記事】
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