義母は今

去年のクリスマスに突然、我が家にやってきた義母。
20日ほど面倒をみて家に帰ってもらった。

義母がダンナの実家に帰って一週間ほどしてから一度、洗濯した物を持って行ったきり、ダンナは実家に行かなかった。
私は様子伺いに寄ってみるよう再々言ったのだが、言うことを聞かない。
車で20分もかからない距離なのに。
電話さえしない。
やっぱりダンナ好かんって思ってた。
私からすれば冷めたい。

義母を引き取ったクリスマスの日、着替えを取りに実家に10年ぶりくらいに行った。
義母とダンナと行ったのであるが、部屋で義母まかせの衣類はすごいことになっていた。
とりあえず義母が着る物と着れそうな物だけ掘り出して、私は持って帰って次の日に大量に洗濯をした。

実家のあまりの散らかりようにダンナは片づけなくちゃあって思ったらしいが、自分一人では無理と判断。
義兄も心筋梗塞で入院してるわけではあるし、ころにゃんでずっと帰ってなかった東京の義妹に帰ってきてもらって手伝ってもらおうとダンナは考えたらしい。
義兄が心筋梗塞で入院して義母を引き取ったこと、義妹にすぐ連絡したほうがいいと私は言ったのに中々連絡しないダンナであった。
なんか変な家族である。
とりあえず片付けという理由も出来て、ダンナは義妹に連絡した。
けれど義妹は急なことだったのでお正月にお休みは取れなかったが、次の週にはお休み取れて帰ってくることになった。
ころにゃんで義母とは3年ぶりに会い、義妹とは楽しそうに話をしていた。
でも少し大袈裟っぽく勝手なことをしたので、昔の家長まんまの義兄には不満だったか?やりすぎたか?とも私は感じてた。

義母が実家に帰ってから、ダンナが実家に行ったのは洗濯物届けに行った1度きり。
様子見に行ったら??って再々言うのにダンナは行こうとしない。
義兄も一人で介護してるわけだし、病み上がりでもあるし、義母は我が家にいる時から少しづつ機能が低下してる感があったし高齢でもある。
ダンナに実家に行けと度々私は言い続けて、様子見が必要だからと言ってるのに、ダンナは高齢でも母親だから色々言われるのが嫌だったのか?動かない。
私が動いてもよいのだが、私はしばらくダンナの実家に寄り付かなかったし、私は全くの他人様で余計なお世話だと感じられた。
そこまでする必要はないかな?と私にしては出しゃばらず珍しく控えた。

先日ようやくダンナが実家に週末に行った。
義母が実家に帰ってからひと月も経っていた。
私があまりにもしつこいのと、月曜日に通院予約があったからだ。
元旦の日に足が痛いと救急外来に行った時知った予約だったので、義兄に確認の意味もあった。

ダンナはショックを受けて帰ってきた。
「寝たきりになってる。起き上がれもしない。話も通じない。」と。
「兄貴はかまわんから。」と。
短期間だけ義母の面倒見ただけで根を上げて、大変さは知ってるはずなのに、様子見にも行かない人が言えるんかい!
しこたま文句言ってやった。

それでも通院の手伝いには行ったようである。
大の男二人係でようやく連れていけたらしい。
そうして義母は入院となった。
脳梗塞で、骨折もあるらしい。
いつからなのか?病院で色々話したら、もう2週間も前らしい。
あの大寒波の頃になる。
寒さが厳しくなると、新聞のお悔み欄がいっぱいになる。
やっぱり寒さは高齢者には危険である。

それにしても義兄は、義母が動けなくなっても一人では何もできず、この通院日を待っていたのだろうか?
ダンナがちゃんと実家に寄ってたら、もう少し早く対応出来たと思う。
私も要望があればすぐサポート出来たと思うのだが、一番反省してるのはダンナである。
血の繋がった家族であっても、詳しいことは話さない人たちである。
それでも助け合わないと出来ないことが多くなってきた。

先日ダンナが義兄から初めて報告受けたという。
何も聞かない、聞こうともしないダンナから聞いた。

義妹に帰ってくるようにダンナにしつこく言って、私は余計なことしたかなと思ってた。
でもよかった。
義妹の義母との会話は最後だったかもしれないと。

義母がどれほど回復するかはわからない。
それでも食欲はあるし内臓に支障はない。
寝たきりになっても義母はたぶん元気だ。
92歳の義母は希望通り100まで生きると思われる。



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