シュトゥットガルト郊外で1920年代最先端の住宅展示場をみて考えた.
チューリッヒからシュトゥットガルトに入り,すぐに駅からバスに乗り換えて,郊外にあるワンゼンホフ・ジードルングに向かう.駅を降りると,乗用車の多くが,ダイムラーの3ポインテッドスターのエンブレムを付けている.噂には聞いていたが,ここシュトゥットガルトはダイムラー・ベンツのお膝元であり,他にもポルシェやBOSCHといった自動車とその関連企業が集積している都市である.タクシーまでもがベンツだったぞ,とは先輩から聞いた話だったか.その光景を目の前にしてその工業都市のプライドを見せつけられたかのようだった.
さて,目的地のワイゼンホフ・ジードルングとは,その町ワイゼンホフに建てられたジードルング(住宅展示場)という意味が表すように,1920年代にヨーロッパで台頭してきたモダニズム建築の騎手による新しい時代の住宅建築の実験住宅建設の地である.そして,もちろん実際に売りに出され,居住者が今でも暮らしている.僕らの学生時代の建築教育といえば,ヨーロッパのモダニズムにその規範が置かれており,つまり,コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエなどの手掛けた建築がお手本とされた.それは,やはり産業革命の波が日本にも影響を与え,世界が均質化し始める段階において,西洋の優れた建設技術の恩恵に日本も学ぼうとした歴史のごく真っ当な流れが連綿と続いた結果だと言える.当時のコルビュジェや,バウハウスで学んだ数名の日本人の先駆者が帰国し,新しいデザイン教育や建築教育に携わる中で,そのヨーロッパの先端事例が一種の規範とされたことは想像に難くない.
そんな中で,モダニズムの白く四角い,ある意味素っ気ない造形こそが素晴らしい,というロジックについて,僕自身は最初は違和感を感じたものだった.ただ,徐々に,その単純化された造形の背後にある哲学や,当時の社会背景,複雑な諸問題を抽象的な形態と概念に還元させて解いていく合理的で科学的なアプローチの面白さを知るほどに,その素晴らしさを理解するようになっていった.ただ,頭で理解できても,それらモダニズムの空間を味わったことがなかった.そんな中で,これほど集中的にモダニズムの教科書のような住宅建築群が観察できる場所は他にない.バスを降りると,片っ端からそれらの住宅をみて回った.コルビュジェ,ミース,グロピウス,JJPアウト,ペーター・ベーレンス,ハンス・シャロウン,etc.実際には,戦災で破壊された建築も数多くある.どれも白を基調にして,ちょうどモンドリアンの抽象絵画のように窓や壁の構成要素が水平垂直を規範に並び表情が生まれている.
僕が訪れたのは1992年.建設当時からはすでに65年ほどが経過している.それらの住宅について予備知識があった建築学生の僕でさえ,バスを降りて,最初いくつかの住宅を回りながら思ったのは「正直よくわかんないな」だった.四角い箱は確かに芸術的には美しいが,どれもどこか閉鎖的で,内部での生活の様子までは観察できないのだ.もちろん,中を見学するツアーなどは当時なかった.あくまでも,外観を眺めるだけだ.日本の住宅の場合,家はどこか庭や外部に開かれており,良くも悪くも生活感が滲み出てくる.ここにはそれが感じられなかったのだ.そこで僕はちょっと分からなくなってしまった.だけど,この住宅群の中でもとりわけ有名なコルビュジェのシトローアン住宅にたどり着いたときに,それまでとは違う空間を見つけることが出来たのだ.外部空間の豊かさである.開放廊下とピロティ,横長の窓から明るいインテリアが見える.そして屋上にはテラス.ここに,彼の近代建築5原則の多くが見て取れたとき,コルビュジェの凄さを体が理解した.
そうして,もう一周してみると,さっきまで閉鎖的に見えた住宅群の中に,窓辺のちょっとした工夫や,住んでいる人が飾った鉢植え,玄関周りの小道具,住宅の周りに活用されている空間に置かれた家具やベンチなど,生活の気配が見えるようになった.モダニズムの素っ気ない建築が,住み手を縛るのではなく,住み手がそのシンプルな入れ物を自由に活用する姿が見えたとき,ああ,これがモダニズムに暮らすということなのか,と思ったものだ.
どう贔屓目に見ても,日本のどの町にも建っている社宅のような何の変哲もない建築だという印象しか持てない,ミースの設計した集合住宅も,よく観察すれば,窓と壁面のプロポーションや,細かなディテールの工夫が見てとれる.何しろ,今見ると当たり前のこの建築が,この世で最初のこの形式の住居だったと考えれば感慨深い.全ての社宅のルーツである.そして,そのように思い込もうとする自分自身が可笑しくなってしまった.途端に,これらの澄ました表情の建築が,何か愛嬌のあるようなキャラクターに思えてきたのだ.モダニズムの建築って,どこか神々しく,きらびやかな存在だとばかり思っていた僕にとって,ある意味で裏切られはしたけど,ちょっとくたびれて見えるその姿が,とても身近な存在に思えたのだ.
歴史はときに残酷である.最初の何かが常に最善とは限らないが,やはり,最初であるということは唯一無二の価値ではないか.65歳を迎えた初老の建築群に挨拶をしたような気分になって,僕はシュトゥットガルトの中心部に戻った.
それから,そこで,ジェームス・スターリングによる,シュトゥットガルト現代美術館に訪れた.モダニズムの凛とした表情から60年以上経ち,建築は表情が豊かになった.そのカラフルで造形的にも美しい,工夫に満ちた雄弁な建築の表情を見ながら,なんとなく,先に見たあの朴訥とした,皺が刻まれたようなモダニズムの建築群に,よりシンパシーを感じている自分に気がついた.
次は,ドイツの首都,ベルリンに向かう.