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これまでに夢中になったモノやコト #1ヶ月書くチャレンジ
いしかわゆきさん著「書く習慣」の
#1ヶ月書くチャレンジ 挑戦中!
14/30 これまでに夢中になったモノやコト
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熱しやすく冷めやすいから夢中になったものは結構たくさんあると思う。
Webや推しについてはめちゃくちゃ書いてるから、今日は学生時代に限って書いてみようと思う。
私も野球部マネージャーになりたい!
私は父が野球部で、ずっと野球を見てきていた。
今はご無沙汰だけど、ナゴヤドームに行って中日の試合をみたり、春夏は高校野球中継を見ていた。
遡ること中1の夏、私は毎年恒例の夏の甲子園中継を見ていた。
そのとき、ベンチに映る女子マネージャーを見て
「かっこいい。私もなりたい。」
と強く思った。
母も「チアリーダー?体柔らかくしなきゃ。ほら、体硬いから…」と初めは勘違いをしていた。
華やかな方なのは確実にチアの方だし、吹奏楽で甲子園に行くという手段もあったのだが、私はとってもマネージャーに魅力を感じていた。
男子の中でひとり黙々と仕事をこなし、引っ張っていく存在がとてもかっこよかった。
高校受験のとき
①:甲子園常連の私立
②:頭が良くてバレーが強い私立
③:近くの公立高校
④近くの公立高校(両親の母校)
⑤:滑り止めで受けるレベル。だけど甲子園出場経験あり
という志望校で、第一志望の高校に落ちて
「やっぱりマネージャーやりたい!」となって滑り止めの高校に入学を決めた。
めざせ甲子園!
高校の野球部では週一でしか休みがなく、強化部ということもあり時間もとっても長かった。
(宿題はバッティングの時にやってたなぁ)
でもレギュラーを掴むため、甲子園に出場するために努力する選手はとっても素敵であまり休みがないことに苦を感じなかった。
私ももっともっとできることをしたくて夢中だった。
でも、高校3年の春の大会にしんどいことがあった。
春の大会は、夏の甲子園予選の大会のシード校を決める大会でとても重要な大会。
私たちの高校は地区の大会を優勝していたので春はシードだったけど、なんと初戦で敗退。
シード権を取ることができなかった。
監督からも「史上最弱」とも言われ、部員も私もとても悔しい気持ちになっていた。
帰りのバスの車内は泣いてる選手、黄昏てる選手といた。
顧問の先生と男子マネージャーと私で「どうしたら勝てるのか?」を2時間の車中で語り続けた。
負けてからはもうすぐに夏に向けた追い込み練習が開始。
部活の中では誰がレギュラーになるかピリピリしていた。
その熱い部員同士の争いもとってもエモーショナルで「みんながんばれ…」と思いながら過ごしていた。
史上最弱チームのどこよりも長い夏
いよいよ夏の甲子園予選開始。
シードが取れなく、愛知県は当時、全国一の学校数で決勝まで勝ち進むと7,8戦戦うことになる。
何度もピンチを凌いで決勝トーナメントな進出。
決勝トーナメントの初戦は強豪校で、勝った瞬間に泣いてしまった。
終わったら男子マネージャーに「まだ泣くの早いからな」と言われてハッとなった。
まだまだ勝たなきゃいけない…
(これだけ聞くと超青春〜!)
その後も勝ち進み、なんと史上最弱と言われたチームも決勝戦に進出!
学校中の生徒が夏の補習もサボって応援に駆けつけてくれた。(笑)
(高校野球の応援に行けば出席して扱いになるシステム。入場券を次の日に提出するそうだョ)
相手には、今もプロ野球で活躍選手もいるぐらいの競合校だったけど、最後まで諦めずにみんなが頑張ってくれていた。
ゲームセットのサイレンを聞いても、なぜかその時は涙は出なくて、とっても幸せでここまでやってきてよかった!と達成感も感じた。
(後輩、みんな泣いてたのに3年だけヘラヘラ笑っててごめんね。でも先輩たちもそうだったし、たぶん同じ気持ちだったんだと思う)
まとめ
まだ文章力がないから、エピソードが薄くなってしまうのがとっても悔しいけど、私の最大の青春だし、間違いなく夢中になったエピソード。
大人になっても、小さなことに気づけるのはたぶん強豪校と呼んでもらえるほどの厳しさ、練習量の中でマネージャーさせてもらっていたからだと思ってる。
(毎週、英語の確認テストがあったのですが、マネージャーは落ちたら退部させられるので、まじで必死に勉強してた。私は3年間落ちたことなかったけど、実際に何度か落ちてしまって辞めさせられた子もいたしな…。文武両道にはとても厳しかった…)
毎日は戻るのはしんどいけど1週間だけ戻りたいなって思う(笑)
おわり