デジタリアン・ファンタジア -1-
-1-
「生まれながらにして」という言葉がある。
生まれながらにして〇〇と言われれば、生まれた時からその身分や権利を背負っているという意味だ。
その空白に当てはめると私は生まれながらにして王女であったと言える……世間上は。
「もう嫌だー!!!」
そうあくまでうわっつらだけを見ているならば、私は生まれながらの王女なのだからある程度の責任と責務を割り振られるのは当然で、仕方のないことだと言えなくもない。
でもそれを受け入れられないのはその深層に私がそれ以前に生まれながらにして一人の女の子であるのだからという理由がある。王女という身分での責任以前に生物学上あるいは文化的なものの性としての生理的や社会的や安全を求める欲求がくるのは当然であろうことだ。証明は至って簡単であるなと誰に向けるわけでもなく考えるのだが、この室内にそれを拾う人間すらいないとなれば口に発するのすら馬鹿馬鹿しい。
いや、正確には一人いるんだけど。
「お主のそのセリフ聞き飽きたぞ。……ん、これうまい。」
招待用のソファーに誰の許可を取るわけでもなく座り、来客用かあるいはティータイムにでも食べようとしていたクッキーを自由に頬張っているこの人間、ではなく人型の、さらに私と同年代ほどの少女の形をした聖獣がいるのだが、この人(便宜上こうする)はいつもこんな感じで呑気にしているから、なんか苛立ちが倍増しているかのような気がしてくる。
「んああああああああああ!!なんなんですか人の執務室に勝手に入り浸って!!」
「いいじゃろ、別にわらわがどこにおろうが。これでも絶賛仕事中なのじゃからな??」
「知ってます〜!!」
敬えとでも言いたげな表情でそう言う。これで何もしていないのであれば別に追い出すだけの理由があるのだが、彼女(便宜上)は言う通りに絶賛仕事中だからより苛立ちを増やすのだ。
この世界の中の私や仲間や人々の住むこの王都ジアスは彼女の作り出す結界によって護られているからだ。彼女の名前は聖 麟華(ひじり りんか)。太古より伝わる聖なる獣、麒麟の種族の末裔である。その証拠なのか彼女の頭部には角、普通にしっぽが生えてるし、クシャクシャとした長い髪の毛先は五色に分かれている。ひらひらとダボつきめの服を翻してソファーで寛ぐ姿に威厳も何もないのだが、結界の維持には彼女の存在と彼女の持つ魔力の維持が不可欠であるので、実質この世界の最重要人物なのだ。クッキーを勝手に食べているのは魔力維持にカロリーがいるとかなんとか。だからこの人にはそういう身分や為してる仕事の大きさが半端ないので、王女の身分を持つ私の前ですら多少の無礼を見逃される。本人が慎ましいなら可愛げがあるのだが、不遜で呑気で悪戯好きと絵に描いたくらいに実力とそれを糧にした権力を傘にして私にあれこれしてくる子供のような人なので、手を焼きすぎて、私の手はもはやウェルダンのステーキくらいにはなっている。
つまるところ、追い出したくても追い出すだけの説得力のある理由が出せない。
「レイチェルは今日も大変そうじゃの〜。」
呑気な性格にそういう「のじゃ口調」が合わさるもんだから余計に苛立つのだ。本人に言っても絶対直さんだろう、想像が容易だ。
そしてそんなふうに考えつつ、無駄なため息を吐きながら、書類を片付けているのが私、レイチェル・ミラージュだ。順調に行けばミラージュ王家14代目当主にして女王。現在は10代目当主の父と二人の兄、一人の姉がいる。要するに第4王女だ。母は早くに亡くしてしまったから記憶の中ですら会ったことはない。写真くらいは見たことがあるが。そしてなぜ末っ子の私がこんな目にあっているのかというと、血縁の一家全員が遠征に向かっているせいなのだ。
この世界には私たちを襲う敵が存在している。
正体不明、得体や素性の知れない禍々しいもの。わかることは私たちに圧倒的な敵意を持って襲いかかってくると言うことだけだった。
人型の形状をしているのは辛うじて一緒だが、色はどす黒く、ドロドロとした何かを表面に、あるいは恐らく内面にまで素材にしている体であり、おまけに激しいほどの敵意を向けてきているときたら、私たちとは相容れることはないだろう。
そんなものが日常的に蔓延る世の中なのだから、正直私たちにとっての平穏はいつも危険との紙一重の世界である。いつ敵に襲われるか、そして襲われた後にどうなるのか何もかもわかってすらいない。ただ、やられっぱなしは癪であるという考え方もあるわけだから、そんなふうに考えた父は文官よりも武官的だった三人の次期後継者と軍勢を引き連れて大規模な遠征を行うことにした。私自身も魔法やら剣技の施しを受けたにしろ、どちらかというと争いは好まないし、父も王家断絶は困るので一番末っ子の私に何かあれば託すという名目の元、この王家にて書類仕事やら王都の内政を受け持っている。それに防衛に関しては麟華含め、何人もの優秀な仲間がいる以上、王家の面々が安心して敵の討伐に迎えている現状がある。私は内政を受け持つことを誇りに感じてはいるが、そんな重責を全部私に丸投げした現当主含め年上の面々には多少の憤りとこのような愚痴を吐いても然るべきだろうという自分の正しさを感じなくもない。防衛に関してはお飾り同然だが。
「そう思うなら手伝ってくださいよ」
「無理じゃよ。妾が一回手伝ってみたことを忘れたのか。」
「知ってますけど!!」
猫の手も借りたい現状の時に本当に猫の手を借りると悲惨になるという教訓はその時生まれた。
「じゃあお主が一人でなんとかせねばな。ほれほれ、もう少しの辛抱じゃよ。」
「それなんか煽ってません??」
「それはお主がそういう感受性しとるからじゃろ。」
受ける側の問題にすり替えないで欲しいのですけど、というセリフを言うよりも先に彼女の表情が険しく変わる。事態はいつも緊急で準備を待ってくれないのだ。いつも彼女の顔がこう真面目ならいいのだけど、こういう時だけなのは逆になんか平穏な時に安心しなくもない。
「野暮用じゃ。少々席を外す。」
「私も行きます。」
「終わったのか。」
「だからもう嫌だって叫んだんですよ。一区切りはついたので。」
どうせ増えるから文句垂れてもこの後もやるんだけど。
「ごめん、一旦出かけます。」
「少々留守番頼むの〜。」
とりあえず軽い装備をしたのちに、多分あの子もどこかで聞いてるだろうからと給仕の者に言いながらも、見えないあの子に呼びかけた。
「まあ、お主が最低でも来てくれんと、妾だけだと最悪の事態になれば一旦結界止めなきゃならんからな。」
「きっとそうなれば他の人も来るでしょうけれど。」
さっきも言ったけど、戦力的には私は仲間の中でも下の部類だ。場つなぎにはなるだろうからと理由でしかない。
王都ジアスの中心、王城も兼ねた「Vジアスタワー」の移動装置で地上まで降りた私達は真っ先に王都の外へと繰り出していくのだった。
*
聖麟華の作り出す結界は彼女の魔力による維持によっての運営のため、彼女自身の触覚、特に痛覚との共有がなされ、敵が結界との接触を果たせば真っ先に異変が彼女に伝わる。結界のどこに触れたか、つまり具体的な敵の位置は彼女の体のどこに痛みが生じたかで伝わるらしい。
「こっちじゃな。」
目視の索敵をするかのように結界のサーチ機能を使いこなしていく。王都の北側方面、木々が覆う森の入り口付近へと歩を進めた我々が目にしたのはやはり蠢く恐ろしいものだった。
外見は皆一様に黒く、ドロっとしているような、所々に黒く煤けた煙のようになびいた表面をしている。だが私たちを確認した後の反応は様々だ。低く唸るもの、急に大きく叫び出すもの、喋らずに私たちを見据えるもの。その一つ一つを見るたびに私はなぜか既視感と嫌悪感を覚えて、より一層彼らに対して憎悪を覚えるのだ。
見たくないものを直視するかのような感覚。まるでその表面の共通項と中身の多様性が私たちと同じなんじゃないかって思わせる。
「目を逸らすでない。隙を生むぞ。」
麟華は強い。穏やかであろうともこんな状況であろうとも、態度も顔色も変えない。
「わかってます。」
彼女はなるべく後方支援に徹しさせる。私の認識はそれだった。結界に加えその他のことに魔力のリソースを割けば最悪の場合に備え切れないからだ。
「はぁっ!!」
手をかざして、念じればたちまち周りを突風が包む。相手の動きを止めて牽制も行う。そのまま手を握れば、途端に刃のような風が吹き、何体かを引き裂いた。攻撃のために一瞬強風が止んだのを見計らって敵が距離が詰めるものの、私はその対策もしている。
「ふんっ!」
右手を左から右へ返せば、そのままその方向に風が敵の体をから抉っていく。左手を前に突き出すとそのまま敵の腹を風の刃が切り込んだ。何体かがそのまま霧や霞の様に消え去り、もう何体かがそのまま周りの木々に打ち付けられる。ざわざわと枝が揺れている。はぁっと息を一つ吐く。
「後ろじゃ!!」
えっ、と振り向くころにはもう遅い。という嫌な想像は途中でかき消された。こんな想像が先行するあたり私もまだまだだなと思う。強烈な一撃は奇襲をかけた敵にクリーンヒットし、敵をそのまま横へ流していく。そのままの勢いで土埃を巻き上げていく赤いレーザーの様な閃光群が見えた様な気がした。
「流石に『赤の閃光』には勝てませんか。」
もう一つの声が響き、私はまたその方向へと首を回す。
「お怪我はありませんか、お嬢様。」
そのまま彼女の手を私は掴んだ。
「ええ、ありがとう。ミュノン。よく気づいたわね。」
「私はこっそりついてきてましたが、あっちは風と木々の音でわかったみたいですよ。」
「真澄さんもありがとう。」
「今は『レオス』です!」
赤い兵装をガチャンと開き、その向こうから屈託のない笑顔がのぞくと私に再び安心感が戻るのだった。