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ベンチコートのまま|悔しかったあの試合

ライズTOKYOさんの健康睡眠プロジェクトパートナーとして活動しているので綴ってみたいと思う。

「悔しかったあの試合」

僕は第92回全国高校サッカー選手権大会の岐阜県代表として「岐阜工業高校」のユニフォームを着て、ベンチにいた。味の素フィールド西が丘は寒かった。グレーのベンチコートで身体を温めていた...

熊本を離れ岐阜へ

「なぜ、岐阜?」

今だから言える。幼少期の家庭環境の変化と転校先(引っ越した地域)でのいじめ。小6から中3までの4年間はサッカーしかしていない。というのもサッカーをしてない時間は生きた心地がしなかったからだ。

※被害者と言いたいわけじゃなく、僕にも悪いところがあったはず。原因がわからず今もモヤモヤしている

学校も楽しくなくただひたすらボールを蹴っていた。おそらく同世代の中ではボールを蹴った量は多いんじゃないかなと思う。
高校は九州から離れたいという想いから東海地方より先しか見ていなかった。
中学時在籍していたクラブ監督に紹介してもらい2校から決めることになった。

静岡県 磐田東高校
岐阜県 岐阜工業高校

中3の秋休みに1人で進路活動を行なった。この時人生始めて新幹線にも乗った。熊本である程度通用しているし、県選抜にも入っていたから自信はあった。静岡に2日間岐阜に1日お世話になって帰りの新幹線で考えた。

磐田東は人工芝ピッチでコーチ陣は元ジュビロの選手だった方々。一方、岐阜工業は土のピッチでめちゃくちゃ厳しい印象を受けた。でも今までに出会ったことのないGKコーチがいらっしゃった。GKに対する考え方が180°変わった。この出会いを3年間続けたいと思い、岐阜に行くことを決断した。
※結果3年間めちゃくちゃきつかった。私生活が乱れサッカーに対する姿勢がブレブレになった。それでもしがみつきたい想いでプレーしていた。

挫折と諦めの悪さ

進学すると1つ上の先輩に186cmのスーパーGKがいた。シュートストップ、クロスボールの処理、手も足も出なかった。唯一勝負できた武器はキックだった。現代はGKから攻撃が始まると言われるようになりキックも大事な武器になるが、肝心なシュートストップ、クロスボールの処理能力では大きな差があった。172cmの自分と14cmの身長差...
熊本県内にはいない存在が岐阜にはいた。1年時、2年時に東海GKキャンプに参加した時にも大きな衝撃を受けた。

V・ファーレン長崎 高木和 徹(清水エスパルスユース)
アルビレックス新潟 小島 亨介(名古屋グランパスU18)

この2人は一緒に練習してプロになるだろうと思った。自分がなりたいのに2人の方が近い確信が自分の中にあった。とても辛かった。でも辞めたくなかった。爪痕を残したかった...

学年が上がったら1つ下にまたまたスーパーなGKが入ってきた。173cmと身長は自分を変わらないが集中力と身体能力が全然違った。あの時は現実を受け入れきれずモヤモヤしてる期間が長かったと振り返る。

結果3年間控えでることとなる。

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2014年01月02日
2回戦で岡山県代表の玉野光南高校に敗れ高校サッカーの幕が閉じた。ベンチコートの中にはオレンジ色のユニフォームを着ていたがベンチからピッチを眺めるだけで何もできなかった。結果爪痕も残せず...
自分を変えることができなかった。ベンチからの光景は忘れることのない「悔しかったあの試合」となった。

違うカタチでプロに

サッカーが好きな自分は選手ではないプロになろうと、
指導、栄養、睡眠、道具、パートナー、SNS、映像、イベント...
を学び少しずつトライして今に至る。まだまだ知識も経験も浅いがやり続けることで未来は作れると信じ、「納得」探しの旅に出ている。

現在は株式会社ヒカリコーポレーション スポーツ促進事業部 部長に着任し、熊本市内の100坪の土地にミニピッチ(ゲージコート)とクラブハウスを建設中、夏には完成予定。ここではライズTOKYOさんの寝具(マットレスや枕その他ギア)の体験ができるブースを設ける予定。

自分のサッカーに関わる全てのコトに纏わる価値観が輪になるよう動いていきたい。

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最後まで読んで頂きありがとうございました。

#悔しかったあの試合 #ライズTOKYO #健康睡眠プロジェクト #スポーツ睡眠
 
Twitter:@23tds

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