家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だったを観て。

すでに今年見たドラマで一番になるであろうドラマだ。

何故こんなにも自分が引き込まれているのかについて考察してみる。

まずは主演の河合由実の演技力はもちろんのことストーリーが何より魅力的なのであろう。

主人公の境遇は父親は他界し、弟はダウン症、母は車椅子生活を余儀なくされている状態で物語の序盤が進んでいく。
その中でも主人公は持ち前のユーモアで楽しく暮らしている。
境遇はどうであれ楽しく暮らそうという心意気なのか、本当に今の生活が楽しいのか私にはどっちなのか分からなかった。
それは多分どちらの気持ちもあるからなのだろうと想像する。

主人公は事あるごとに周囲から自分の境遇は不幸なんだと半ば強制的に空気として味わうことを経験していく。
そんな中でも家族への愛をとてつもなく感じるのだ。
それは家族一人ひとりからの愛を感じるのである。母からこどもへの愛、こどもから母への愛、祖母から母親への愛、父からこどもへの愛を、こどもから父への愛。
すべてを見せてくれている。

一番好きなのはダウン症の弟が姉である七海へ直接ではないが「七海ちゃんが笑う。嬉しい」と心のなかで思う場面だ。
私が大人になって思うのは、単純に自分のことを思ってくれている人がいるということが
どれだけ嬉しく心強いかということである。

この家族には愛が詰まっている。多少の経済的、社会的なハンディキャップはあれど心はあふれるほど豊かでそこに心が温かくなる。

最近は親ガチャとか生まれて時点での自分の境遇に落胆し諦め自分の境遇にすぐ見切りをつける風潮がある。
自分が変わるかは気持ちの問題でもあるということを改めて気付かされる。

このドラマの中で好きなシーンは、亡くなったはずの父親が度々こどもの前に登場することだ。おそらくこれは子どもたちの空想の中から出てきた父親で幽霊の類ではなさそうである。
その父親は子どもたちに背中を押す言葉をかける。恐らくこれは父親が生きていたら子どもたちにかけたかった言葉であり、子どもたちが父親にかけてもらいたかった言葉をなのかもしれないと想像する。

もう目の前にいない大切な人の存在を感じながら生きている。そして背中を押してもらっていることに存在はできないけど心のなかで生きているんだなと感じた。

まだ完結はしていないドラマであるが
私はこのドラマに励まされている気がする。
家族だから愛しているんじゃなくて、一緒に生きてお互いのことを思って愛す存在になっていった家族の物語なのかなと思った。

もうすぐ最終回なのが惜しい。

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