マッチングアプリとジョーカー2の話

私の友達は昔からマイペースで自分のことを幸せだと話していた。
優しい性格で、道化になり人を笑わせることもある。ユーモアのある友達だ。
去年話した時には、「俺は自分のこと幸せだと思うねんけどなぁ」と話していた。
詳しい境遇は割愛する。

最近久々にその友達に会った。相変わらず話をすると楽しいのだが、友達は最近マッチングアプリを始めたらしい。
しかし、いいねを異性に送っても返事がないという。そして落ち込んでいた。

他人の評価をあまり気にする事のない性格だったはずなのだが、異性に興味を持ってもらえないのは応えたようだ。

やはり他人に評価されるというのは、精神面に負担をかけることなのだとよく分かった。

今日ジョーカー2を観てきたのだが、メンタルを削られた。
社会的にも虐げられ「無敵の人」になったジョーカーが自分の理解者、恋人を手に入れたと思ったが、彼女が見ていたのは「本当の自分ではなく、ジョーカー」であり、本当の自分として彼女に向き合うと別れを告げられてしまったのだ。

別に友達とジョーカーを関連付けて話したい訳では無い。
しかし、異性と関係を構築できないということが私たちを苦しめることは明白である。

では、元から諦めてしまうことが賢明なのだろうか。
できるなら賢明な判断だろうが、ジョーカーのように「好機」と思われるような出来事が生じた時に人はその「好機」に飛びつかずに「諦める」ことが本当にできるのだろうか。

ジョーカーの字幕映画の挿入歌では
「That's Life」が流れる。
「人生はそんなもんさ」
良いときもあれば悪い時もある。
人生が薔薇色になるなんて誰が言った?
生まれた時点で苦しみのほうが多いのかもと気づいた人も多いだろう。
「そんなもんさ」と言い切れてしまう程の柔らかなユーモアさは携えてはいないが心の中にその言葉を飼っておくのはいいのかもしれない。
とは言えこの曲も精神的にギリギリであるような歌詞なので何とかユーモアに振る舞って平生を保っているようなものであるのだけど。

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