汗臭く泥臭くいつでも今でもなれたら。
タイトルは私の大好きなカネコアヤノの「春」という曲の歌詞の一部だ。
最近自分自身に対して気づいたのは、世の中に浸透しつつある「自分に優しくしていい」みたいな風潮に侵食されていたことである。
聞こえはいいがこれは捉え方を間違うと現状維持を肯定していつまでも前に進めないという自体になりかねない。
ここでは「自分に優しくする」ということはどういうことかを考えていきたいと思う。
私が考えるに自分に優しくするということは、励ますことであり自分の理解者になるということである。決して自分の責任を他者に押し付けることであったり、何でも逃げることを肯定するような過度な甘さを自分に許すものではないと考える。
つまり自分に優しくするということは必ずしも甘くするだけではないということである。
頑張った自分に「今日も頑張った」と声を掛ける。「君ならできる」「そんなときもあるさ」
と声を掛ける。
そういうことを繰り返しながら自分と生きていくということ。それが自分に優しくするということなのかなぁと思っている。
自分が生きていく手助けを自分ができるようになるということなのかもしれない。
私は10年くらいかかったけど、それくらい自分との信頼関係を築くのは大変だったし、
これからも自分を裏切らない行動をしていく。
ダサいこと、カッコ悪いと自分が思うことはしない。汗臭く泥臭くは私にとってとてもかっこいいこと。少しずつ積み上げていく、その忍耐強く進む姿を私はかっこいいと思う。