赤門キャンパスでの逸話
駒場の教養学部から英文学科のある本郷のキャンパスへ、3年生から移動したと言っても、学生生活の様子は、どこの大学でも大して変わらないでしょう。
そこで、記憶に残っている少し面白そうなエピソードを、四話ほどご披露しようと思います。
① 滑稽な誤訳
語学の時間に、先生も生徒も、一瞬唖然とさせられた誤訳で、後々、いつまでも笑いのタネになっいたのが2つあります。
耳を箱に詰める(box the ear)
光は私を悩ませる(Es tut mir leit)
boxは殴るの取り違え。
2行目は第二外国語のドイツ語で、英語のI'm sorryと同じ慣用句なのですが、偶々、直前のセンテンスにlichtという中性名詞があったので、Esという代名詞をそれと解釈したわけです。
外国語の翻訳に、誤訳や奇訳は付きもので、翻訳された作品から、誤訳ばかりを集めて出版する人がいるかと思うと、そこから誤りを見つけて論文を書く人もいたり、なかなか大変なものです。昔笑い話にされた中に、かの有名なシェークスピアのハムレットの台詞
To be or not to be, that is a question. を、
ありますか、ありませんか?
それはなんですか?
と訳されたのがあったと聞いたことがあります。
② 年越し講義
語学以外の選択科目では、高名な教授の講義を、大教室で聴く授業が多くありました。
教授は、ご自分の書かれた論文を、板書を交えながら講義をされます。
年末の講義を終え、新年には、皆新しい気分で、授業の始まりを待っていました。やがてお出ましになった先生、教卓でご自分のノートを開かれるや、
「その最も良い例は. . . 」
と、いきなりおっしゃいました。
始まりには、新年のご挨拶か何かを期待していた学生たちは、皆、何の話か分からず、キョトンとしています。
何のことはない、年末に終わったところの続きを始められただけのことでした。
学者先生の中には、浮世離れされてる方も偶にいらっしゃいます。
③講義ノートの恩恵
部活に熱心な学生の中には、門から部室へ直行して、終日そこで過ごす人もいます。彼等は授業に出ていないから、試験の前には、大慌てです。勤勉な学生のノートを元にした講義録が作られ、それを買って間に合わせる人も珍しくはありませんでした。
山岳部に、その部類の友人が1人居ました。彼は熱心なクリスチャンで、倫理学科だったのですが、後に、医学部へ学士入学して医師となり、ネパールの山奥に診療所を開設して、僻地の医療の改善に尽くされました。
彼が一時帰国された時、新潟の教会で、講演会がありました。その楽屋で私のことを指して、
「私は、この人のおかげで卒業出来ました」
と、ユーモラスに紹介して、辺りの笑いを誘われました。
講義プリントを買うのを惜しんでか、試験の前には、いつも私のノートを借りに来ていたのです。
講義に出なくても、プリントさえあれば単位は取れるとなると、その時間を図書館で過ごしたり、他のことにその時間を活用していた学生は、少なからずいたようです。
④ お嫁に行けない?
娘の東大志望に反対する親御さんの理由は、大抵、嫁に貰い手がなくなるということのようです。
別にアンケートをとったわけではないですが、東大の女子学生は、在学中に平均4回はプロポーズされるという噂さえあり、実態は逆でした。
噂は噂として、私の周囲の女友達は、殆ど皆結婚しています。
尤も、当時としては奇異に思えるような例も。
"夫は要らないが、子供は欲しい"
と豪語して、さっさと離婚し、自立の道を選ぶ女傑も居ました。
これ以上はあまり長くなりますので、次回からは、Mrs.になってからのお話に進もうと思います。(今は、全てMs.ですが)
どうもお退屈様でした。
追記:サムネイルはネパールで活躍した③の伊藤邦幸さんの著書「同行二人」の表紙から。彼も泉下の人となって久しくなりました。
同行二人 https://amzn.asia/d/iuXqn1r
「伊藤邦幸氏の逝去を悼む」京都大学学術情報リポジトリより
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/268434/1/jcs_14_139.pdf