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駒場から赤門へ


 東大だ!それ本郷の赤門へ!というわけではないのです。

 昭和26年の入学式は、本郷の安田講堂で厳かに行われました。ここは1969年の、左翼学生による占拠事件で一躍有名になったのは、ご記憶の方もあるでしょう。
 しかしその後、学生数も付き添う保護者たちも急増したために、入学式場は武道館に移動しました。

 赤門を構える本郷キャンパスは、旧制の東京帝国大学の建物で、学生は、学部に分かれてからの後の2年間をここで学びます。
 教養学部の2年間は、井の頭線の駒場にある旧制第一高校の建物で、学部に進学するために必要な単位を取得します。全国に7校あった旧帝国大学には、それぞれにナンバーのついた旧制高校があり、それらは戦後、教養学部として大学に吸収されました。

 さて、駒場のキャンパスに入った新入生たちは、一週間のオリエンテーションの間に、教授の開設する講座の資料を参考に、自分で時間割を作らなければなりません。
 第二外国語の未修、既修によってクラス分けがされているので、学生たちは、まず決められた教室へ落ち着きます。
 私の場合、B2(ドイツ語未修)50人ほどのクラスに、女子学生は4人でした。
 その内の2人は、別々に窓際などに陣取っていましたが、後の2人は、仲良く並んで、真ん中の後ろの方に座っていました。
 後から来た男子学生たちの反応は様々で、ちょっとためらってから、少し離れたところに席を取る人。 あ、珍しい奴か居るぞとばかり、その隣の席へ直進する若者。

 やがて、2人の女子学生の周りの席もきれいに埋まりました。

 周りに席を取った男子学生たちは、なかなか個性豊かで、議論好きでした。休み時間や放課後だけでは話が終わらず、帰途の駅のホームまで議論を持ち越したり。

 そのうち、誰が始めたか、大学ノートに意見を書いて回すようになり、それが仲良しグループの輪郭となりました。その数13人。  男子9人、女子4人です。

 ノートの回覧のおかげで、この仲間は生涯の友となり、その交流は
73年間も続いていますが、年2回の昼食会に顔を出せるのは、ついに3名になってしまいました。
    "そして誰もいなくなった“
        (アガサ・クリスティ
   以前の記事で紹介済み)
となる日も近いのでしょうか。

 3%の女子学生に仲間入りしたことで、色々な不愉快な経験もしました。その一部は、前の記事で書いていますが、もうとっくに前世紀のものになってしまっているかと思われるような男女の意識に、居心地の悪い思いをしている女子学生が、今も多くいることを知って、驚きました。

 けれども、世の中そんな偏見に固執した人ばかりではありません。東大でお付き合いいただいた方々は、皆さん良識ある紳士でしたし、博識でユーモアに富んだ仲間に囲まれて、一流の教授たちから学べる日々は、貴重な青春のひとときでした。

 楽しいエピソードなどは、長くなるので、次回に譲ろうと思います。

 皆様、どうぞ良い2025年を迎えられますように‼️

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