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カタツムリの国内行脚
タイトルの"カタツムリ"は説明が要るでしょうか?
転勤族の父親と夫を持った私は、娘時代の23年間に12回、結婚後の68年間に14回.引っ越しました。
南から北まで国内各地を転々としましたが、後半14回のうち46年間は新潟に落ち着いていましたが、最後は千葉県に戻りました。
それぞれの土地の観光案内をしても始まらないので、そこで経験した些細なエピソードなどを思い出しながら、皆さんに、昭和の日本の一コマを想像して頂くのも一興かと思い、それらを折に触れて書いてみようかと思いつきました。
欧米では、住まいを変えると言っても、家具まで持ち歩くことは少なく、大体身の回りのものだけで済みます。日本は今でも、住んでいた時の家具家財一切を移動させて、家を空にして出ることになっています。
家も運ぶわけではないけれど、カタツムリを連想してしまうのです。
今では、引越業者が大方のことは引き受けてくれますから、当時の苦労話は、聞いても実感がないでしょうけれど。
ここまでは、タイトルの説明だけで。 さて、何処から始めようかという問題です。
生まれたのは、神戸市須磨区の鉄道官舎ですが、その後の名古屋市、山口県下関市、福岡県小倉市(現北九州市)、大阪府吹田市辺りまではまだ小学生で、語るに足るほどのエピソードも無さそうです。それ故、その次の東京から始めるのは如何かと思います。
今回はプロローグのみ。
次回は昭和18年頃、太平洋戦争の真っ只中、私は小学校6年生で、友人の多くが集団疎開をしたその時期まで、東京で過ごした話から始めましよう。
どうぞ、お楽しみに!