情熱物語。
「犬は人間の古い友達」
そんな言葉があったような気がします。
今日まで生きてきて、歴代3匹の犬を飼っていたのです。
最初に飼ったのは「コロ」という名前でした。
たぶん雑種だったはずです。
僕は幼稚園に通っているくらいでしたので、記憶がはっきりしない部分も多いのですが「大きくてよく吠える」、そんな雰囲気だったように思います。
よく吠える犬でしたが、僕には懐いていたようでした。
コロに悪いイメージがないのです。
もしかしたら、忘れているだけなのかもしれないのです。
そんなコロが居なくなってしまったのは、暑い夏の日のことでした。
幼稚園から帰ってきた僕に母親が
「コロが逃げちゃったのよ。」
と教えてくれたのです。
子供でしたので根拠もなく、
「おばあちゃんの家に行ったんだな」と思いました。
それでおばあちゃんの家に行くと
「コロは来てないよ」
と言われたのでした。
「近所の高橋さんのところに行ったんだな」
と考えました。
高橋さんのところの犬が同じコロという名前だったので、そう考えたのかもしれません。
高橋さんは
「うちには来てないよ」と言いました。
泣きたいような怒りたいような気持ちの僕に両親は、
「自分の家を覚えているから、そのうちに帰ってくるよ」
そんなことを言うのでした。
そのうちって、明日だろうか来週だろうかと考えましたが、明日になっても来週になってもコロは帰ってくることはなかったのです。
両親の言う「そのうち」がやってこない間に、僕はコロのことを忘れたり少し思い出したりしながら過ごしたものです。
それは今にして思えば「子供の時代」だったのかもしれません。
大事なものの喪失。
そんな経験。
僕はその後、2代目3代目の犬と生活を共にすることになるのですが、「いなくなってしまったコロ」のことを時折懐かしく思うのでした。
もしかしたら犬の王国を作って、楽しく暮らしているかもしれない。
そんな現実逃避なこと考えたりしながら、やり過ごしたのです。
現実との差異。
立体的になった記憶。
そういうこと。
何度も「大事なものの喪失」と「現実逃避」を経験して、僕は大人になったように思います。
それから何十年も経ち、立派かどうかは分からないのですが、僕は大人になりました。
ある日、大人になった僕に両親が
「コロは保健所に連れてかれたんだ。」
なんて話し始めてビックリ。
「お兄ちゃん知らなかったの?私、コロにバイバイしたよ。」
と妹が言い始めてビックリなわけです。
コロが近所の人に噛みついてしまったとか、その人が怒って処分を迫ってきてなんて、知らなかったわけです。
なんだったら知らないままで良かったなあ。
犬の王国のほうが良かったと思うのです。
大人の決定を覆すことは出来なかったでしょう。
妹のように天真爛漫ともいかなかったかもしれません。
世の中の不条理を感じながら、せめてバイバイはしてあげたかったと思うのです。
せめてバイバイはなあと思ったのです。
それで今は、金魚とメダカを飼っています。
水の中をふわふわ泳いでいる彼らや彼女たちを見ていると、僕もなんだかふわふわした気持ちなのです。
ふわふわしながら呟きます。
何を呟いたかは内緒なのです。