暇つぶし
小学生の頃は小説家になりたかった。ところが中学生になってから、進路指導で小説家という職業について調べているうち、その職の不安定さや難しさを目の当たりにし、さっさと諦めてしまった。小学生のころの夢って、そんなもんだと思う。
こんな事を自分がするのはマジで恥ずかしいし、嫌悪感もあるのだが、時間があるので、小説を書いてみようと思い立つ。供養…。
学ランのズボンのポケットに手を突っ込むと、いつかの十円玉、ガムのゴミ、付き合いで吸った煙草のライター、何かのメモ書きなんかが指に当たった。スマホを見ると、LINEの通知が来ていた。
ーうるせぇ、死ねよ
この間LINEを交換した、他校のギャルだろう。あいつらは口が悪い。ごめんって、と打とうとして、少し考えてやめた。ふらふらと河川敷を歩く。
2年半続いた彼女と別れてから、俺は色々な人と取っかえ引っ変え遊んでいる。男も女も。周りも俺みたいなやつばっかりだ。俺は誰でも良くて、相手も誰でもいい。分かってる。
駅付近で、茶髪の髪を低い位置で2つに結んだ、同い年くらいの女の子がスマホをつついていた。特にやることもなかった俺は、その子に近づいた。
ーねぇ、びっくりさせたらごめん。今暇?
ナンパしようとして、俺は次の言葉を考えながら彼女の瞳を見て、言葉に詰まってしまった。淡い黄緑色の眼だった。俺はその女の子を知っていた。
女の子、と言っていいのか分からない。人工知能搭載の、アンドロイドだ。見た目はほとんど人間と変わらないが、人工筋肉や人工皮膚が使われている。喜び、共感、他者の識別ができ、コミュニケーションがとれる。TVで見た事があった。
なんでここに居るのだろう。日本に数台しかないはずのこいつが。俺はすっかり興味を惹かれてしまい、そいつをまじまじと見つめた。
ーなんでこんなとこに居るんだよ。お前さ、人間じゃねぇんだろ?
相手がロボットだと分かると、俺は挑戦的に言った。どうせ言葉が分からないだろうし、殴りかかってはこないだろう。駅前は騒がしく、人はひっきりなしに出入りを繰り返していた。そいつはこちらを見て、笑顔を見せた。
ーミライ、というんだ。よろしくね。
笑顔の作り方は本当に人間のそれと瓜二つだったが、名前はいかにも、といった感じだ。未来だとか、希望だとか、科学の結晶を誇るきらきらした名前。
ーお前さ、ここで何してるの?
ーえっと、君は、何をしているの?
ロボット風情が、質問を質問で返しやがって、と俺は少し腹が立った。しかし、俺は答えた。
ー俺はさ、お前を遊びに誘おうと思ったんだよ。お前が人間だと思っていたからさ。
ーミライも、君と遊べるよ。
ーへぇ、君が?
俺は小馬鹿にした態度で答えた。折角だからこいつで遊んでやろう。時間は幾らでも余っていた。どうせ家に帰ったって何も無い。暇なだけだった。
ーじゃあさ、駅の中でもぶらぶらしようぜ。来いよ。
俺はそう言って歩き出した。ミライはしなやかに歩いて後を付いてきた。駅の中は香水の匂いと、電光掲示板や店から流れるBGMと、定員の呼び込みの声で、慣れ親しんだ混沌を見せていた。
ミライは黒のジャージを来ていた。よく見ると、頬に少しだけ傷がついているようだった。瞳は大きく、アンドロイドにありがちな、美形な顔立ちをしていた。ミライは目立った。
LINEの着信音が聴こえた。俺はなんだか、日常の何もかもが惨めになってしまった。LINEを開くと、先輩とまた遊びに行きたいです!という文面が目に入った。この間遊んだ後輩か。あまりよく知らないが、悪い噂は聞かないし、きっと良いやつなんだろう。
ーなんて返したらいいかねぇ…
俺が言うと、どうしたの?とミライが言った。俺がLINEを見せると、君は友達が多いんだね、とミライは言った。
俺はさぁね、と答えた。喫煙所が見えたので、喫煙所に入った。吸うか、とミライに聞くと、
ーミライは吸えないよ。ロボットだから。
とミライは答えた。
ー俺だってそんなに吸えねぇよ。
俺は言った。
ーでもさ、煙草とか、友達の数とか、そういうのがなくなるとさ、俺は自分が無くなったみたいな気持ちになるんだよなぁ。
弱いだろ、と俺が言うと、弱い?とミライは首を傾げた。
ーミライのプロジェクトを作った人の方が弱かったよ。
弱かったから、死んでしまった。このジャージは、その人のもの。
俺はミライの言葉を聞いて、急にぞくっとした。そうか、こいつの感情はあくまでもプログラミングされたもので、恐怖や悲しみは含まれていないのだ。
吸えない煙草をふかしていると、不意に、君高校生だろう、と喫煙所にいたおっさんが声をかけてきた。俺は舌打ちをして、喫煙所をでた。振り返ると、おっさんは追いかけてきていなかった。
ー偽善者が。
俺はむしゃくしゃして言った。変に正義感を出すくせに、高校生にびびりやがって。どうして怒ってるの、とミライが言った。だって腹が立つだろ!と俺は言った。
ー腹が立つだろ。みんなみんな。俺を腫れ物みたいに扱いやがって。さも自分が正しいですって顔をして。じゃあかかって来いって言ってんだ。どいつもこいつも。
ー腫れ物?
ー腫れ物なんだろうよ!優等生じゃない、上手くできない、言うことも聞かない。どうしろって言うんだ、俺は、俺は、俺は俺がやりたいだけなのに。
どうして誰1人として、肯定してくれないんだよ、向き合ってくれないんだよ、誰一人としてよ!
ー腫れ物は、ミライもだよ。
俺はびっくりしてミライを見た。
ーミライも、腫れ物だよ。あの人が死んでしまってから、腫れ物だって、周りの人が言ってた。
俺はなんだかイライラしてきた。ロボットの癖に、同情をあおりやがって。開発者が死んだから、俺の気持ちが分かるとでも思っているのか。所詮余り物の俺には余り物しか寄って来ないってか。何なんだこいつは。何なんだ俺は。腹が立つ。
ー俺は上手くやりたいんだよ。凄いやつだって、誰かに褒められたいんだよ。慕ってほしいんだよ。おめぇなんかに分かられたところで、何だって言うんだよ。ロボットのくせに。
ーだってミライは、ロボットだから。
ー…そうだな。
俺は少しだけ深呼吸して言った。イライラするが、ミライが隣にいてくれることが少しだけ心強くもあった。
ー俺にはお前みたいなやつがさ、昔居たよ。
ーミライみたいな人?
ー大昔に2年半付き合ってた彼女がさぁ、お前みたいだったよ。俺の事を否定しないし、怯えて機嫌をとったりもしなかった。俺はずっと俺のことが嫌いだったから、そいつがさ、俺には居ると思ったら、心強かった。
ーミライも?
ーそうだよ。怖いなぁ…。
俺は不意に、これから1人で帰る、がらんどうの家を思い出した。
ー本当は怖いんだよ。俺1人で。ずっと目を逸らしてるんだ、耐えきれないから。
ー怖いっていえないのね?
ーだって怖がったって仕方ないじゃん。ぐだぐだ言ってたって、誰も助けてはくれないんだから。俺が何とかするしかねぇんだよ。同情とかうぜぇよ。どうせ俺がキレたら怖がるくせに。
俺は自分が泣いていることに気が付いた。冷静になってロボットに泣きながら喋っている自分が、本当に気持ち悪いと思ったが、涙は止まらなかった。
ーうるせぇよ皆して。あれは駄目だこれは駄目だって。誰か隣を歩いてくれよ。答えを見せてくれよ。
ー悲しいから泣いているの?
そうだよ、と俺は言った。弱いだろ、と言った。
ー怖いものがあるから、それを補うように私は生きているよ。私には私の生き方があるの。悪いことじゃない。
ーロボットのくせに…
俺は馬鹿にしたように笑った。そうやってわざと突き放して、相手の反応を伺うようなことをするようになってから、随分と久しかった。もう元のようにはなれなかった。
ーミライの開発者は、どんなやつだったんだよ。
俺は聞いた。人間らしい人だったよ、とミライは答えた。
ーいつも私に話しかけていたよ。記者が態度が悪くてムカついたとか、ライバルの企業の責任者がバカにしてくるとか。ミライに言っても仕方ないのに、ともいつも言っていた。
ーそうか。
ーミライのプロジェクトはね、もう進むことはないの。あの人の意志を継ぐ人はいないの。
ー孤独だね。そうはなりたくないや。
ーううん、あの人は私を遺すことで、孤独を乗り越えたの。それがあの人の生き方だったの。あの人にも怖いものがあったの。
ーへぇ、
俺は言った。それからスマホを取り出して、道路に向かって投げた。スマホは車に引かれて粉々になっていった。ライターも投げた。オレンジ色の影が地面を舞った。
ー俺はさ、今すぐに生き方を変えれそうには、ないや。多分、明日も同じようなことを繰り返すと思う。俺らってみんなそんなもんだよな。
ミライは粉々になったスマホを見て、少し笑った。
それから、そうかもしれないね、とも言った。
眠れない夜に捧ぐ