
ネオ旅行記(3) 淡墨桜
根尾の誇る観光名所・根尾谷淡墨桜に向かいましょう。
寒桜でもなんでもなく、品種としてはエドヒガンだから咲くのは4月頃だよ。今? 葉もないね。

淡墨桜は根尾谷西側の高台に立っている。
登っていく途中に街の方を見れば、城建ててもよさそうな見晴らし。

少し坂を上れば開けたところがあって、そこに淡墨桜が立っていた。
もちろん誰もいないのだが、なぜか子供が乗り捨てたようなソリがある。
ここでもしんしんと雪が降り続いていたはずなんだけど、ソリの上に雪積もってないな。直前までいた……?

雪の中に埋まってる赤い蕾。

淡墨桜の方へ、雪を踏み分け近づいていく。
一応今日誰か通ったっぽい痕跡はあったので、むやみに荒らしすぎないように同じようなところを通る。それでも靴は埋まる。新しい防水靴でよかったが。
しかし雪を咲かせてる淡墨桜もなかなかの乙だな。
根尾谷の入り口は古田織部の出身地だから、古織も何度も見たであろう淡墨桜の乙を攻めるのはむしろ正しいといっていい。花が咲く頃、春にくるのは素人。わかりやすい甲しか解しない俗物。
いや甲の姿を見ずにいきなり乙から入るのはおかしいか。

周りを囲ってそれ以上近づけないようにしてるけど、どうも柵沿いから28mmで撮ればいい感じに収まる距離っぽい。31mmでこの微妙に狭い感じ。むむむ。GRIIIは宿のバッグの中だ。
しかし樹齢1500年というものすごい高齢で、なんとも不思議な姿をしている。雪国だし何度も折れたりしては回復させたんだろう。
昭和23年、長年保護してきた淡墨桜も、いよいよ枯死まで3年だろうと診断されてしまい、なんとかできないかと手を探し、岐阜に枯木を復活させる名手・前田利行という人がいるということで診てもらった。
すると根が腐って白蟻にたかられていたので、近くの桜から若い根をもってきて根継ぎを実に238箇所も施して、それで復活したとのこと。
この囲いも、根を踏まないようにするためにやってるそうで、別に28mmで写真映えするようにしているわけではない。

すぐ後ろには観音堂。よく見ると不思議な屋根してるな。なんだろこれ。切妻屋根の上に塔の屋根みたいなの載せてる? この造りの由来は情報が見つからない。
本尊は、淡墨桜の折れた枝を彫った観音像。1920年に台風でかなり大きな枝が折れてしまったそうで。

観音堂そばには、淡墨二世というかなりよく育った桜がもう一本。
ソメイヨシノじゃないから種もつけるから、これも種から育てたのかな。淡墨桜の種は宇宙に飛んで実験に携わったことがあるそうだ。
淡墨桜の苗はけっこうあちこちに植えられているそうで、きんさんぎんさん105歳の折に、淡墨桜の苗を埼玉の東松山市庁舎に植えたとのこと。今回泊まった住吉屋旅館にもきんさんぎんさんのサインを飾ってあったから、その時に取りにきてたのかな。
淡墨桜は、継体天皇が即位することになる直前に住んでいた根尾谷に、去り際に植えていったという伝承がある。
継体天皇からはまず実在してるだろうといわれる上、淡墨桜の樹齢1500年と継体天皇即位が西暦507年と大体合ってるのでなかなかもっともらしい。
ただ、現地伝承を読む限りは、どうも継体天皇が顕宗天皇の子になっちゃっている。
雄略天皇が自身の皇位と権力確保のために、後の顕宗天皇・仁賢天皇の父を暗殺した。それでふたりが都を離れるところはまでは同じだけれど、日本書紀では播磨に逃げてたとあるのが、ここでは尾張一宮に逃げたという。そこで後の顕宗天皇と、応神天皇の末裔にあたる姫との間に子が生まれ、それが後に継体天皇となった、という話になっている。
そこで生まれた子を追ってから隠すために、山奥の根尾谷で育てた、と、ここにいたというストーリーが無理のない貴種流離譚にまとまっている。
記紀の記載に従っていくと、5代も前の応神天皇の、仁徳天皇とは別の子の系統の5代目が継体天皇。雄略天皇が身内を粛清しまくった影響で、武烈天皇で近い血縁者がいなくなっていて、遠いところまで探して掘り出した。
継体天皇の系統も、北近江から美濃尾張越前にかけて結構大きな勢力を持ってたそうで、別にマンガみたいに自分が皇族の血統だとも知らずに育てられた子がある日突然見出されたとかではないらしい。
根尾谷もまあ勢力圏っぽいけど、ここを本拠に北近江や尾張まで治めるのはちょっと無理っぽい。
継体天皇は近江から来た説・越前から来た説があるけれど、越前説だったら上京に当たって根尾谷を通って植えたくらいの話はできそうだが、ちょっと伝説としては物足りない気はする。

でも伝説とウソは違うので、継体天皇の名の下に1500年の長きにわたって淡墨桜を守ってきたならそれでいいじゃないか。私は雪の中に歴史ではなくロマンを見てきたのであろう。
そういえば、今城塚古墳は継体天皇陵といわれているけど、信長時代の慶長伏見地震で激しく崩壊しちゃって無惨な有り様になっちゃったのだが、根尾谷も1891年の濃尾地震で横ずれ8m・上下6mにわたる大規模断層ができたところで、継体天皇は地震に縁がある気がしてしまった。
断層も気になったんだけれど、あいにく地震断層観察館は年末年始の休みで今回はパス。春日神社から10分ほど北に行ったとこにも横ずれ断層が見られるところがあるのだけど、雪に埋まってるとどうにもならないし。

谷間で日が落ちるのが早いとはいえ、まだ15時半ごろ。
駅前に大栄ストアーという店があるとGoogleマップで見つけ、名前から勝手に小さめの食品スーパーかと思って立ち寄ると、昭和の時代にいう「商店」であった。
とはいえ少し補給できて、早いけど宿に戻って休息モード。
部屋に戻ってテレビつけてみたら東京大賞典。JRA勢に果敢に挑むサヨノネイチヤを応援。家にテレビないのだけど、大河ドラマと競馬が見られないのはちょっと寂しい。
それからスマホのKindleに入れておいた魍魎戦記MADARAアーカイブスを一気読み。マダラより聖神邪のほうが作者に愛されてる気がした。
先述の実に良い夕食をとり、ご主人と歓談し、風呂入って、こんなこともあろうかと持ってきていたポータブルゲーミングPCで遊んで、適当な時間に寝る。

翌朝、樽見線は8時43分発なので8時頃に宿を出て、今一度駅前を少し散策。空き地に立ち木が一本あるだけで目を引く。

雪と縁が薄く生きているから、こんな景色はまだ一生で片手で足りるくらいしか見てなくって。
思い出せるのは、なんかS電機に5年派遣で勤めた後に転職サイトに登録したら、別のメーカーからやけに熱心に面接受けてくれと誘われて新潟まで行ったら大雪だったあの日だ。上越新幹線が湯沢に抜けたらすごいことなってて。なおそこは落ちた。

このあたりは神社が多い。駅北側の(ただし直行できる道はない)白山神社に。多分街中だと合祀されてまとめられちゃうのが、昔からの場所にそのまま残ってるんじゃないかな。

この高い銀杏も本巣市指定の天然記念物。まわりが杉林だから、秋にはこれだけ黄色くなってひと目でわかるそう。
次回もまだ続いて、樽見線の帰りに古田織部の出身地だった山口に寄り道。