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大三元レンズの始祖と川西町・三宅町を歩く(1) (Tokina AT-X270AF Pro New)

 F2.8通しの標準ズームって、カメラシステムの中心になるような最重要レンズで、どこも力を入れたものをラインナップします。
 PENTAXであれば★レンズ、キヤノンならLレンズ、ミノルタ・ソニーはGレンズとハイエンド用の称号も与えちゃう。

 しかし、F2.8通しの標準ズームって、思ったより歴史が新しいらしい。
 85年以前のMF時代だと、F2.8通しのズームはほとんどなかったみたいで。PENTAX ME-Fのやつとかごく限られる。

 AF時代に入って、ニコンのAiAF Zoom Nikkor 35-70mmF2.8Sが1987年に出たのが、目についた中では一番早かった。
 そして他社がすぐ追従するわけでもなく、ミノルタもキヤノンもPENTAXも35mmスタートのF2.8通しズームは出さず。

 そんな1988年に、28-70mmF2.8をぶっこんできたのがトキナーでした。
 結局ニコン以外は35-70mmF2.8はやらず、93年くらいになってから28-70mmF2.8などを出してきてたようです。
 28mmスタートはトキナーが圧倒的に早くて、5年くらい唯一無二だった。

 で、こちらが今回入手したTokina AT-X270AF Pro Newになります。

 この28-70mmF2.8は、光学系が同じままでいくつかモデルチェンジしていきます。
 初代モデルが88年。これはまあ普通というか、特殊な機能はつけてない、スペックが唯一無二なのが自慢のレンズ。
 それが、93年にモデルチェンジされて型番にPROがつく。この頃には純正にEDレンズなども使った高級な28-70mmF2.8とかも出てきた。
 それらに対抗するため、アップデートが行われています。

 MFの操作性に大きくこだわっていて、ピントリングを前に出すとAFモードで、ピントリングとフォーカスの動きが切り離される。
 ピントリングを手前に引くと、ピントリングとフォーカスが繋がる。このときは、AFレンズでよくあるスカスカの感触じゃなく、しっかり適度な重さがある回り方になる。まだAF性能が物足りなかった時代に、いざとなればMFも当然使う。ならば以前のMFレンズ並の使用感にする、と。
 MFも使いやすいAFレンズって今でもあまりないですけど、1993年に機械式に実現してる。これはかなり凝った鏡筒なんだろな。

 光学系も基本一緒ではありつつ、コーティング変更や工作精度の向上、実F値がF2.6-2.8になってたのを広角で微絞りしてF2.8通しにしたなど、画質の向上も図ってるそうです。
 それから、ズームしても鏡筒の全長が変わらなくなってます。レンズの前玉は広角にすると前に出る2群ズームなんですけど、その前後移動も収める長さの外筒になってるというか。
 といったところでPROがつきました。
 発売当時の94年ごろ、同等の28-70mmF2.8がカメラメーカー純正でも発売され、5年過ぎてる旧AT-X270AFの売れ行きも低下。
 トキナーもかなり経営悪化してた頃だそうで、これが売れなきゃ畳むつもりだったくらいの崖っぷちでPROへのモデルチェンジを敢行。
 トキナーがその後も続いたということは、このレンズは売れたそうです。

 その後、1997年に塗装を変更(梨地になった)、フードを花形バヨネットフードに変更したのが、私が今回入手したNewタイプ。
 その後、コストダウン版のAT-X287 PRO svが出たのが最後。
 2000年にはテレ端が80mmに伸びたAT-X280AF Proに切り替わる。


 このAT-X270AF PROの話の情報源は、トキナーが以前Pictavernというサイトに提供していた記事なんですが、あいにくサイトが潰れてしまった。
 今はドメインが他人に取られて、オンラインカジノ云々のサイトに化けている。
 で、そのドメインの持ち主がなぜか、かつてのPictavernにあった記事の一部のテキストを丸コピーしたらしい記事をサイト内に残してるので、うまく検索して見つけられれば読めるんですけど、色々怪しいのでリンクは控えておきます。

 スペックは、ちょっと手元の新PROじゃなく94年の旧PROの情報しかないんですが、まあ大体似たようなもんでしょう。
 レンズ構成12群16枚(非球面レンズ不使用)。
 重量は760g、最大径79.5mm・全長109.5mm、フィルター径77mm。(PROで鏡筒が重厚になっていて、初期型は600gで最大径76mm、全長90mmでフィルター径72mmです)
 最短撮影距離0.7mというのが、今のレンズに比べるとちょっと弱いところかな。

実写街歩き(結崎駅から川西町)

28mm F6.7 1/350s ISO100

 さて奈良県川西町唯一の駅、結崎駅で下車。もちろん初めて。
 駅前は……なんかロータリーでもあったような感じのところをきれいに再整備して、そのまま公園・広場みたいにしていた。ちょっと私が今まで知ってる駅前にはないスタイルだなあ。

 心底どうでもいいけど、結崎は字面も音の響き(ゆうざき)も美しく、ブルーアーカイブあたりのキャラとかVtuberの名字に設定されても全然違和感ないな。

28mm F9.5 1/180s ISO100

 町域を東西に横切る形で、寺川という川が流れている。北西の方で大和側に流入する。まずその川沿いへ。
 しかしちょっと草が高く伸びすぎていて見通しが悪く、景色としてはあんまり。これはまだしも見通せた場所。
 かなり堤防が高いから、もしかするとこれは天井川なのかな。

28mm F6.7 1/250s ISO100

 結崎駅近くは一戸建てが整然と並ぶニュータウン的な作りだけれど、ちょっと寺川沿いに西にいくと、いかにも古い集落というエリアにくる。
 この集落がかつては中村というところで、古くからこの都留伎神社があったそう。
 都留伎比古命というあまり見ない祭神なのだけど、「鶴木」という、中村でため池を掘るのに功績があった人を祀った、あるいは村のために寺川の堤防から無断で用水樋を引いて罪に問われて獄死した人物を祀ったという。
 今ならウマ娘ファンがお参りにきそうだなあ。

28mm F4.5 1/125s ISO100

 お社はコンパクトなもので、拝殿なども構えていない。あくまで村の偉人らしい。

40mm F4.5 1/180s ISO100

 「薬師堂」と書かれた、和福寺というお寺の跡地に残された建物がぽんとある。見た目は簡素だけど、中には秘仏のかなり大きな仏像があるそう。夏と秋のお祭りで公開される。

43mm F6.7 1/250s ISO100

 多分川西町で最も大きな神社であろう、糸井神社が立派な両部鳥居を立てている。延喜式にも載ってる。
 結崎には中村の他に市場・井戸・辻・出屋敷の5つの垣内があって、糸井神社は共同管理しているそう。

28mm F6.7 1/250s ISO100

 それほどものすごい拝殿が構えられているというほどでもない。
 祭神は豊鍬入姫命で、「大和志料」では他に綾羽明神・呉羽明神を祀ってるとあり、古くは織物の技術者が祀ったんじゃないかとのこと。

等倍切り出し

 この神社、なぜかサギがたくさん集まっている。あんなでかい鳥がこうもうじゃうじゃいるのはなかなか威圧感あるな。

70mm F2.8 1/1000s ISO100

 さて、AT-X270AFといえば結構なクセ玉だといわれていて、これ開放で撮るとかなりふんわりした、ソフトレンズみたいな写りになっちゃう。これはテレ端だけど、広角でも中間でも安定してふわふわになる。
 ちょっと絞れば違和感なくきっちりした写りなのはこれまでの写真でも明らかなんだけれど。

50mm F2.8 1/350s ISO100

 周辺光量もある程度落ちて、一枚ベールがかかったにじみ感。
 ピントの芯はあるけど周りが滲む感じで、解像力不足というんじゃなくて、収差が残ってそうなってるっぽい。

 AT-X270AFはアンジェニューにもOEM供給されていたレンズで、アンジェニューには「ゴミを宝石に変える」という独特の褒め言葉がある。
 この28-70mmに対して与えられた賛辞ではないとは思うけれど、その賛辞の所以たる「開放での独特の収差が残った描写、絞るとしっかりした写り」というのはこのレンズにもある。
 だからアンジェニューがことさらこれを選んでOEMしたのかな、と空想するのも愉し。

70mm F6.7 1/350s ISO100

 ほんとに絞ると安定するんだけどな。ボケもきれいになる。
 開放だと相当がちゃがちゃした後ボケしてるので、ボケを使うにしても少し絞るのは選択肢になるな。

28mm F5.6 1/180s ISO100

 川をわたった対岸に、面塚というものがある。
 能楽発祥の地、と謳われていて、観阿弥がここに知行地を得て移り住み、世阿弥が生まれた場所であるとのこと。
 翁の面とネギが空から降ってきてここに埋めた、という伝承もあって、そのときのネギの方は今も結崎ネブカという伝統野菜として栽培されている。

寺川渡って三宅町

 寺側の左岸に若干結崎が食い込んでるけどわずかで、少し歩くと屏風という地域に入る。

28mm F5.6 1/180s ISO100

 杵築屏風神社という素戔嗚を祀る神社がある。
 この前を太子道、飛鳥時代に聖徳太子が、自宅の斑鳩宮から当時の都たる飛鳥の小墾田宮へと往来していたという道が通っている。

43mm F2.8 1/60s ISO100

 聖徳太子エピソードの多い三宅町で、ここの屏風という地名も、通りかかった太子が休憩するというとき、その日は風が強くて寒いからと村人が屏風を立ててもてなしたので、屏風村と名前をもらったとのこと。
 夏の暑い日に通りかかった太子は、冷たい水をくれと村人に頼んだものの、ここらは井戸が悪くてさしあげられる水がない、と。
 そこで太子が矢で地面を突くと、そこから清水が湧き出した。以後、太子が通りかかるといつも休んでこの水を飲んでいき、また村人も「やじりの清水」と呼んで愛用していたという。

70mm F4.5 1/250s ISO100

 杵築神社の太子道を挟んだ向かいにも、白山神社という神社があるが、こっちはコンクリ作りの小さなお社がある程度。
 やじりの清水を飲んで休んでたのであろう腰掛石があったり、馬で道をゆく太子の像があったり。
 ちょっとおもしろかったのが、狛犬がなぜか玉垣の裏に潜んで、リーンして外をうかがうような配置になっていた。


 そんな長く歩いたわけでもないんだけれど、レンズについての前フリが長くて記事が長すぎるので一旦ここまで。次回に続く。

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