カメラマン太宰治『悲劇名詞と喜劇名詞』
――太宰治「人間失格」より
自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。
「いいかい? ニコンは?」
と自分が問います。
「トラ。(悲劇《トラジディ》の略)」
と堀木が言下に答えます。
「オリンパスは?」
「デジタルかい? フィルムかい?」
「フィルム」
「トラ」
「そうかな? O-Productもあるしねえ」
「いや、断然トラだ。M-1が第一、お前、立派なトラじゃないか」
「よし、負けて置こう。しかし、君、ライカはね、あれで案外、コメ(喜劇《コメディ》の略)なんだぜ。コンタックスは?」
「コメ。京セラもヤシカも然りじゃね」
「大出来。そうして、カメラはトラだなあ」
「ちがう。それも、コメ」
「いや、それでは、何でもかでも皆コメになってしまう。ではね、もう一つおたずねするが、コダックは? よもや、コメとは言えませんでしょう?」
「トラ、トラ。大悲劇名詞!」
「なんだ、ポートラ400も何時無くなるか知らないぜ」
こんな、下手な駄洒落みたいな事になってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにも嘗て存しなかった頗る気のきいたものだと得意がっていたのでした。