伊丹で車と飛行機を見る (E-M5 Mark II / Tokina Reflex 300mmF6.3他)
お知らせ
ナダール京都大山崎のPENTAX展に一品出してます。
プリントアウトはまだ何が面白いかやってみて模索してる段階なんですが、今回は和紙使ってみました。
通例だと14日に参加者打ち上げがあるのでそこに私もいるんですけれど、今回は残念ながら外せない予定と被ってしまって。今回は展示だけ。
ダイハツヒューモビリティワールド
で、今年は7月頭からクソ暑くて、なにか室内で過ごせるようなとこでも行こうかなと思い、Googleマップをサーフしてたら見かけて。
サイト見ると子供向けかと思いかけたけど、この日は「シャレード展」なんてやっていて。そんなん子供向けのはずがないというか、小さい子がいる親でもシャレードが現役の頃に車買える歳ではなかろう。
そういうわけで、いつのまにか駅の名前が変わっていた阪急の石橋阪大前駅に降りて、商店街を冷やかしたりする。
(ヒューモビリティワールドに行くならJR宝塚線の北伊丹からが無難です)
そういうわけで、大学の前らしいレトロなままの商店街が繁栄しているのを眺めたりしてぶらぶらしたり食事したり。
ちょっと南に西国街道が通っているので、そっちの方を西へ歩く……と思ったら、地図確認したら私、西国街道の一本北側の路地通ってたっぽい。
結構歩いて中国自動車道に隣接するところで、十二神社があった。
まあ名前からして明治以降に近隣の神社を合祀したっぽいし、特に境内に面白い由緒書きなどもなかった。
でも防空壕があった。
近くに説明板もあり、今の大阪空港がまだ大阪第二飛行場と呼ばれてた頃、当然に軍事拠点なので真っ先に空爆される標的だったから、1943年に掘られた。大阪が空爆されてるような状況からどうやって戦争続けるつもりなんだろな。
長さ10m・幅3~4m・高さ2mあって30人は避難できるという大型のやつで、当時からこの神社が近隣の村からの集合地点になってたらしい。
それから、お寺の前を通りかかると「春團治の碑」なんて建っている。
三代目桂春團治が、初代と二代目が天王寺の一心寺に納骨されているけど戦争の混乱で墓碑なども行方不明になっちゃってたのを気にしていた。
それで、初代が「池田の猪買い」「池田の牛ほめ」が得意で、二代目もよく池田に来てここ受楽寺の住職とも交流があった縁があるということで、ここに建立されたとのこと。
あいにく私は芸事に詳しくないので、値打ちがわからんで惜しいけれど。
そしてヒューモビリティワールドへ到達。
建物外観は、なんというか単純にダイハツ本社的な見た目のビルで、ヒューモビリティワールドもその一部だったから、特に写真など撮らず。
12~13時が昼休みのところ、12:50くらいに着いてしまったから、守衛さんに確認して少し門前で待機。
そうすると、私に続いて男性二人連れがやってきて、英語で守衛さんと話すも通じない。13時からだからちょっと待って、と横から伝えたのだけど、どうやらまだ外国人観光客がほとんどこない施設らしく、ダイハツ側でもあまり想定してないらしい。
彼らは中国人らしかったけど、ダイハツって中国ではほとんど無名(一瞬だけちょっと使ったけどすぐ止めた)のはずで、それがわざわざここに来たのはなぜだろう。かなりの日本車マニアみたいな人だったんだろうか。
ロビーに入って最初に目に入るオート三輪。
いつのものと明記はされてないけど、736cc単気筒エンジンで積載量750kgの仕様だそうで、うぃきぺ情報を見た限りだと1940~50年代くらいかな。
50年代には法律の抜け穴と顧客要求から異様なモデルがあれこれ出現してたらしく、多分この道のマニアもおるんだろうなあ。
ミラTR-XX AVANZATO R。1994年発売、水冷直列4気筒16バルブインタークーラー付きターボで64馬力、最大トルク10kg・mを軽自動車として初めて突破した。今から見るとこういう方向性の車は懐かしい。
コンソルテ・ベルリーナの初代モデル。トヨタのパブリカと共通の車体だけどエンジンはダイハツ製に変えてある、とのこと。中身一緒で外見替えてるOEMや共同開発はよく聞くけど、逆のパターンあんまり知らないな。
ヒューモビリティワールド本体は奥から入って2階へ。
1933年製らしい、現存最古のダイハツ製高出力ディーゼルエンジンLH-25型が最初にくる。滋賀で灌漑用に使われてたそう。
ラベルの社名がまだ「發動機製造株式會社」で、エンジン国産化のために創業された時代の社名のまま。1951年に今のダイハツ工業に名前が変わる。
発動機製造が1930年に自動車製造に乗り出したダイハツ号。
ダイハツという呼び名自体は、大阪の発動機製造株式会社だから、と当時からあったらしい。
さらにいえば、これは日本エヤーブレーキ(今のナブテスコ)との共同制作モデルであるHD型で、販売上はツバサ號の名前で売られていたそう。
ステップにツバサ號の名前があった。
エンジンになんか書いてるけど、読めないぞ……
2階奥では、特別展のシャレードが並んでいる。
さすがメーカー博物館だけあっていいのが出てくるもんで、デトマソターボがいる。私はこの頃のデザインが一番好きだなあ。衝突安全性とかもあるだろうけど、最近は角が落ちすぎてどうも。
ちょっと人が切れなくて、切れたと思ったらフレーミングに手間取ってミスってるけど、3代目シャレードのWRCサファリラリー参戦モデル。
93年のサファリラリーは、セリカが1~4位を独占したその次の5~7位を取った。セリカは2.0Lエンジンだけど、シャレードは1.3Lだから大したもの。
内装がさすがのラリーカー。
奥にはガレージのジオラマに仕立てた2代目シャレード926ターボ。
ラリーに1.3Lクラスに出走できるよう排気量をちょい減らして926ccターボとして200台だけ生産したホモロゲモデル。ポルシェは無関係。いいね?
4階に上がると、1950年代から10年代ごとにヒット車を、コンセプトを示す感じで展示している。
50年代のミゼットにはやたら力の入ったジオラマ。
このシャープのテレビ、さすがにブラウン管は生きてないかなと思う(もっと画面が丸く見える気がする)が、なんか近づいたらブラウン管テレビ特有の高周波音が聞こえたような。
三洋電機の絞りローラー付き洗濯機だ。
そして60年代はフェロー、70年代はシャレード、80年代はミラ、90年代はムーブとコペン、00年代はタント、10年代はミライースと、時代背景をジオラマでこんな感じに展示している。
写真にどうしてもパネルが映り込むので、車の写真を撮る、というのにはならんのだけど、自動車メーカーがやる展示としてはセンス良いと思う。
コペンでカッコつける兄ちゃん。味がある。助手席のパネルは花束。
コペンでかよ、と笑うところか、コペンだからいいだろ、とダイハツの意を汲むべきか迷ってしまう。
5階は子供向けに生産工程や商品企画などを説明するフロアだったので、私はさらっと見て撤退。
コロナ後に混みまくる場所が増えちゃったけど、ここはなかなか穴場だなあ。内容面白いし、ダイハツだと外国人観光客ラッシュで激混みなんてことにもならんだろうし。
企業博物館らしいフロアとファミリー向けフロアが分かれて両方あるから、ひとりで来ても家族連れでもよし。土曜日は予約なく来れるし、駐車場ももちろんある。駅からもまあ、ここまで暑くなければ歩けるだろうし。
なかなか穴場と言っていいスポットであった。
下川原緑地(伊丹空港北側)
ここまで来ると伊丹空港も間近だし、ちょっと寄り道。
滑走路北端にちょっとした緑地公園がある。
遊具までこんなことに。
公園にちょっとした展望デッキがあって、滑走路まで視線が開けている。
奇しくも風が北寄りだったので、離陸もこっち向きだった。
レンズをトキナーReflex 300mmF6.3 MF MACROに変えて。
しかしこの暑さで超遠距離距離だと、もう空気が揺らぎまくってぐにゃぐにゃの写真になっちゃうな。
超遠距離だから、いくら換算600mmといってもピントはそこまで追い込まなくてもまあ写る感じではある。しかし離陸してきて近づいてくるとオフフォーカスになっちゃって、MFで追いかけるとなると難しい。フレーミングもわちゃわちゃ。難しい。
楽しい撮影なんだけれど、いかんせん暑すぎて頑張ると死ぬので、数機の離陸を見送って撤退。死ぬ。
適当につけてたBCL1580でもこの大きさで写ってしまう距離感で飛んでいく旅客機。
私も泉佐野市出身だから空港近く在住の経験はあるんだけれど、海上空港って騒音はかなり遠ざけてくれてるなあ。泉佐野だとたまに「飛んでるなあ」と気づくくらいのレベル。