その謎を解明するため、私は中和上牧町へ向かった (J limited 01 / FA28-105mmF3.2-4.5)
奈良県の行ったことない市町村にいってみるシリーズ。
そして遠すぎなくて行きやすい、と思わせてそうでもない上牧町に行ってみることにしました。奈良盆地内では最後の自治体。
地図で見ると「王寺のすぐそばでなんで通ったこともないの?」って感じなんですけど、上牧町ってなんと町域に鉄道通ってない。駅がないどころか線路がかすってもいない。だから通過すらしてない。
まあ西名阪が通ってるので通過はしてそうなんですが、私運転しないから自分の意志で通ったわけではないです。それに出口ないから通過だけ。
smc PENTAX-FA 28-105mmF3.2-4.5AL[IF]
PENTAXのFAレンズ時代の標準ズームとして、2001年発売だからほんとに末期。
しかしこの頃って、PENTAXの標準ズームやけに多い。
いちばん下のランクはFA28-90mmF3.5-5.6で、普及機MZ-Lのキットレンズ。FA35-80mmF4-5.6も現行品で残ってたみたい。
高級機MZ-Sには少し格上の、FA24-90mmF3.5-4.5AL[IF]がキットに。
そしてそれに近い中級っぽいやつには、タムロンOEMのFA28-105mmF4-5.6[IF]が99年発売でまだあったのに、同じレンジで少し明るいこのFA28-105mmF3.2-4.5を追加してる形。
ハイエンドはFA☆28-70mmF2.8がいる。
この大量のFA標準レンズ群で、PENTAXのサイトに商品ページが残ってるのがこの28-105mmF3.2-4.5で、ひょっとしたら最後まで作ってたのかも。
別にテレ端90mmが105mmになって撮れるものが増えるとも思えず、広角28mmじゃ24mmより減る。うーん。明るさもほぼ変わらん。
24-90mmと28-105mm、一体どう使い分けていたんだ……と思ったけど、実際両方つけたらすぐわかる。24-90mmの方がだいぶ重い。
フィルム時代のPENTAXには軽いことは大事だったからな。28-105mmはわずか255gという素晴らしい軽量レンズ。MZシリーズと合わせるならこういうのでないと。
そんな軽快中級標準ズームをJ limited 01(1105g)につけて、軽快さを台無しにして出発。
志都美駅から
まずはJR和歌山線の志都美駅で下車。上牧町に鉄道はないので、この所在地は香芝市です。
和歌山線も全線はなかなか乗らないんですが、奈良盆地西側の南北連絡として重要でもあり、王寺から高田までなら昼でも30分に一本とそれなりに走ってます。高田から和歌山方面は1時間に一本以下。
駅前にはなにやら顕彰碑。かつての和歌山線は王寺の次がいきなり香芝(当時は下田駅)で、すっ飛ばされていた志都美村の村長黒松喜洲氏が志都美駅・畠田駅の設置のために大変奔走されたとのこと。
そんな志都美駅、現在は香芝市で一番、香芝駅より乗降者数の多い駅になってるそう。逆に香芝駅なんで……?
奈良県道203号上中下田線というのが和歌山線東側を南北に通っている。けっこう道沿いの景色がジャパネスクでいい感じなのだが、古くからある道なのかな。
なんか屋内にアメ車めいた車を納めて、しかし建物も車も一緒に朽ちていくところのようなのがあった。
浄安寺
葛下川(実は難読)を道が渡る。東側が水辺公園になっていて、桜並木がある。渡れば上牧町入り。
もう少し南には上牧久渡古墳群というのがあり、かつて上牧銅鐸が出土した。らしい。江戸時代に見つけられていて、このあたりの「観音山」で出たというんだけど、どれが観音山かわからんそうな。
が、現状まだ見に行ってどうという状態ではないらしい。2011年に古墳の回りを宅地開発しようとして、調査したら古墳群とわかった、と新しい。
馬見丘陵に上がっていくと、浄安寺というお寺があるので立ち寄り。
上牧町は笹百合を押してる街で、ここも笹百合の名所らしいんだけど、あれは6月の花とのこと。
左手奥に見えてる観音霊場巡りもあるんだけど、時期もあっていささか草深くなってしまっている。ちょっと行きづらそうに見えた。
もともと平安末期、壇ノ浦で敗れた平和盛が逃れてきて守り本尊の弁財天を祀ったのが始まり、というのが一説。和盛は敦盛の甥らしいが、他で名前が見当たらない。知盛の書き間違いだろうか。
それから、平経盛の末裔という久保武盛という人物が、江戸時代に平家一門を弔うために建立した、とも。
この秋は縁がなくて、彼岸花は初めて。
ふもとの道沿いにも複数あったけれど、このあたりは防火水槽とか調整池とか小規模な水を貯める施設がよく見られた。
お寺を出てから、道沿いに観音霊場に途中から入れるらしい通路が見えた。
秩父池
深い林を抜けるとそこは墓地だった。
上牧町はけっこう独特のつくりの自治体で、町域を南北に通り抜ける道があって商業施設が並び、あとはひたすらニュータウン。旧市街は西側の葛下側沿いとかちょっとだけっぽい。それで墓地をこの山の上にまとめてさとやま浄苑と名付けているらしい。
観光パンフレットによれば上牧町最大の池。休日には自然に触れ合う場として人が集まる……休日だけどな……。
手前側は私有地っぽく利用されてる形跡があったし、この先はフェンスと茂みに隠れるしで、どう集まればいいんだろう?
上牧町、田園風景がいい。
庚申塚が、立ち木の脇にあった。なかなか遠目にも見立つ。
牧野古墳(難読)
上がってきてからちょっと先に行くと、牧野史跡公園というところがあり、古墳がそのまま公園化されている。牧野古墳を現状のまま永久に保存するための公園らしい。永久ときたか。
なお上牧町じゃなくて香芝市。
公園の脇に、石棺の底石が置かれている。
牧野古墳のものなのか、と思わせて違う。以前東側から馬見丘陵公園にいったときに遠目に見た文代山古墳(寺戸古墳)から出土したといわれているもの。
馬見丘陵の下池の吐水口を渡るための橋として転用されていて、1960年に下池を回収した時に使わなくなってほったらかされていた。そしてここに展示されるようになった。
馬見丘陵にくっつけるような形で作られた円墳とのことで、大阪の平野部の古墳を見慣れた私にはどこまでが墳丘かよくわからない。ずいぶん人の手で作られた感じの地形だったが。
石室も覗き込む程度はできるようになっている。古墳時代にこんな立派な石積み上げてまあ。
被葬者ははっきりわからないが、有力なのは押坂彦人大兄皇子。敏達天皇の第一王子で、蘇我氏の血を引かず独自の勢力を構えて対立関係にあった。用明天皇の後継候補に挙がったところで突然資料から消えるから暗殺されたんじゃないかとも。
柵だけなので中も覗き込めるのだが、羽音が多重に重なってドルビーサラウンドが効いてるくらいものすごい蚊が寄ってきて、一瞬にして数か所刺されたので撤退。暗くてほとんど何も見えんかった。
五軒屋集落
再び少し西に戻り、上牧町の奈良県景観資産・五軒屋集落を見に来た。
街道景観として登録されていて、近辺の農耕文化の先進性を感じさせる、とのこと。
小さい集落だけどかなり高低差の大きいところで、神社に上がるのも細い階段を抜ける。
拝殿はこんなそっけない、稲荷神社なんだけどありがちな鳥居の並びもないところなんだけど、この中を覗き込むとぎっしり絵馬がかけられていた。
五軒屋の人々から粛々と信仰され続けてるらしい。
右手は妙善寺というお寺。その向こうの壁が見えてるところから稲荷神社への通路がある。ここはらしい風景が見られるな。
住宅街なので遠慮はするけれど、確かに独特の景観だなあ。江戸時代の高級住宅地とでもいうか。
上牧商業地
上牧町は南北に滝川(葛下川の支流)が流れていて、それに沿って通る町道がメインストリートになっていて、ロードサイド型の商店が並んでいる。
意外に奈良県でも大和高田市に続く人口密度を誇るところで、商業もそれなりに盛ん。ジョーシンありコメリありセカンドストリートありしまむらあり。
そんな上牧町、レインボープラザ西大和というショッピングセンターがかつては中心施設として賑わっていたのだけれど、これが悲しいまでに衰退。
エスカレーターも止まった末期的な状態で、ダイソーだけが生き残って営業しているという悲惨な姿が一部で話題だったんだけど、それも今年の春から解体が始まっていた。
レインボープラザ西大和と、宇治小倉のレインボー小倉とを運営していた会社は、2021年に破産しちゃった。このふたつのショッピングモールを取得した負債で資金繰り悪化に陥っていったらしい。
レインボープラザ西大和に関しては、取得して程なくすぐ近くにユニー系列のラスパ西大和がオープンしちゃっている。不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまったのかもしれない。安全確認が足りないのかもだけど。
小倉の方が不審に陥った理由はわからんかったが、西大和に足を引っ張られたのかもしれないな……
その南隣にも、ANNEX西大和というアミューズメントビルが建っているのだが、「テナント募集中」の看板がそこらじゅうに。ああこれも何もかも撤退してしまって廃墟化してるのか……
と思ったんだけど、上牧ビッグスターボウルは営業している。え? いや確かに、のぼり立てたまま放置してたらこんなきれいなわけないし、ピンのモニュメントもきれいだけど。
ただ、入れそうなところにことごとくテナント募集張り紙があるから、近くで見たら営業してるように見えなかった。
噂話からすると、ビルオーナーの方になにかあったみたいでごたごたしてテナントが撤退、今ボーリングは再開できて、という状態っぽいかな。
道を挟んで向かい側にもこんなビル。撞球倶楽部の看板は多分夜に光るやつ。いい。
なんだ、突然ついなちゃんなんて懐かしいキャラのポスターが。まあ奈良では吉祥草寺で祀られてるくらいなのだが……。
これ貼ってあったビルが「シャアアズナビル」って愉快な名前で、ここで「GUNS BAR ROSES」ってガンダムバー的なものをやってる? やってた? ようだ。1/10シャアザクが店頭に飾られていた。
もうひとつサイトらしいのあるけど、どっちも動いてる感じではない、というか作りが凄まじい懐かしさやなあ。
で、その店が展開していたローカルキャラクターコンテンツの「銃姫乱舞サバチュウハイ!!」というのがあり、そのキャラ(ポスターの上に描いてるふたり)がついなちゃんのボイスドラマ11・12話にゲストとして登場した、という経緯があった。
やってそうなら一度寄ってみたいが、動きがなさすぎてなかなか。
片岡城
ここから北西側へと向かう。
おっとなんか異様な廃車が。側面は工務店とかどうとか書いてたけど。なんなんだろう?
ものはホンダ・トゥデイ2代目、軽自動車レースのベースによく使われていたらしい。
片岡城へと登る途中。段畑、古い集落、団地。日本の原風景。
カラスウリ。
地蔵尊があるが、由緒などはわからない。横の木がすごいな。
前方の茂みが本丸。右手に農地化されたところがあるんだけど、どうやらこれが本丸東側の大堀切だったらしい。
大堀切なんかは戦国時代後期の手法だから、松永久秀が領有してた頃に改修してつけたんじゃないか、とのこと。
てっきり本丸などには入れないかと思ったら、こうして通路をつけてくれている。看板新しいから最近やったのかな。
本丸といっても、往時にもせいぜい櫓がある程度だったろうと思われる片岡城、今はちょっとした平地があるだけ。平地があるのが城の証拠ではあるが。
大和片岡城は、名前通り片岡氏という一族の根拠地だった。
戦国時代には小さな国人領主というところで、河内の畠山氏が争ったのに巻き込まれて没落、赤沢長経に攻められて没落、筒井氏が大和を掌握したから味方したら信長と松永久秀に攻撃されて没落、と大体酷い目に遭ってる。
結局片岡利春という人の頃に城を離れたらしい。
その後の片岡城は久秀の城になり、謀反起こしたから信長に攻められ、信貴山城の戦いの前哨戦として戦って落城。それでも1000の兵で5000を相手によく戦ったらしい。細川忠興がこの戦いで信長から感状をもらっている。
畠田駅
線路脇の道を通って駅に向かっていたつもりが、自転車置き場だった。
なんか画になる気がして一枚。
畠田駅の方にも、志都美駅にあったのと同じ趣旨の顕彰碑があった。
畠田駅は古い感じのまま。
いわゆる棒線駅で、志都美駅より構造も簡素。
ターミナル駅の隣駅は寂れるのはよくあるけど、隣といっても結構駅間長いんだけどなあ。
今日のレンズについて
えー、写りについてはまあ、スペックの割に小型軽量すぎるのもあり、K-1系で使って足りると言える画質じゃないなあ。カラーフリンジ多いのはよくあるからいいとして、周辺が乱れすぎ、中心でもあんまり。
これの先代にあたるタムロンOEMのFA28-105mmF4-5.6の方が安定した写りをしていた。まあ先代は別に小さくもないし、なんというか全然面白みもないけれど。
といって、今回のやつがなにか味のあるローファイみたいな感じもせず。「悪いだけ」と「難もあるけど好き」の間は何が分けてるんだろう、と自分の中でも答えがまだない。
小さい、軽い、寄れる、わりと明るいというところで便利ではあるので、MZ-5とかMZ-Lにつけて気楽に使うならちょうどよかった。
今フィルムを気楽に使えないけれど。本来庶民的なブランドであるPENTAXが誇った小型軽量の美徳が、そんなことにスポイルされてしまうとは……。
経験値はこのように。