とりあえず、賢島の海へ(J limited 01 / HD PENTAX-DA 70mmF2.4 Limited)
当時は漁師町だった泉佐野に生まれ、父は世界の玄関口・堺の出身、母は愛媛の秘境・遊子水荷浦に生まれたという私は、わりと海に縁がある方だと思っておりました。
が、泉佐野の海は埋め立てられ、漁船が並ぶ砂浜は消えた。その後引っ越した先も、浪速区・江戸川区・大和高田市・奈良市と海から遠い。
久しぶりに海をみたいな、と、盆休みに突然でかけてみたのでした。
賢島へ
奈良市民の私には、とりあえず大和八木に出てから伊勢志摩ライナーで賢島行きかな、と思いきや、2023年8月11日9時半頃に発生した事故で近鉄大阪線が不通に。(ホームでカバンを列車に接触させたとかだそうで、怪我はしたものの死亡事故ではなかったそう)
私が大和八木についたのがまさにその直後。賢島行きの特急は大阪から来るから、全部止まってしまう。
とりあえずホームにいた松阪行き快速急行に乗り込んで東に向かう。で、名張で停車したと思ったら、どうやら停止区間を最後に通り過ぎたらしい賢島行き特急が来た。
が、名張駅で特急券買おうとしたけど券売機が中止。駅員さんに聞いてみると、「とりあえず乗ってから車掌にいって払ってください」と。
乗ってデッキに立ってて、来た車掌さんを呼び止めて特急料金支払い。が、車内での販売では座席指定ができない。でも近鉄特急は全席指定。「とりあえず座ってもらっていいけど、その席のひとが来たら変わって」と。
しかし私という人間はツキがないので、そーゆーときに限って頭ごなしに難癖つけてくるややこしい奴がきて、こういう手短に説明し難い事情を話したところで絶対通じないで不愉快な思いをする未来しか見えないので、まあ無理に座らずデッキで。伊勢志摩ライナーはバーカウンターがついた広いデッキがあって、窓も大きいから座れない以外は居心地いいの。
結局鳥羽を過ぎてからやってきた車掌さんが、「もう鳥羽線で賢島方面に乗ってくる人少ないでしょうから大丈夫ですよ」と身も蓋もないことをいうてくれたので、空いてる席に座った。
それから、これで近鉄の全路線に完乗。
乗り鉄とは程遠いけれど、端までいってみること自体は好きなので、こういう機会にぼちぼち記録していたのだけど、ようやく。
駅ビルの二階には、2016年の伊勢志摩サミットの記念館「サミエール」というのができていた。もう7年も前か。
写真の円卓と椅子が、当時の首脳が実際に囲んだ席であるそうな。
館内では安倍元総理の映像も多数流れ、時の流れを感じるな。ちなみに「日本で次のサミットをやるまで」の予定で一応時限開設。
ちょっと写ってるけど、各国首脳のサインが飾ってある。案外達筆で育ちは良いのだろうと思わせる安倍総理、地元の人々へのお礼のメッセージを書き添えてあるカナダのトルドー首相とイタリアのレンツィ首相がモテ男っぽさを出し、小さくぴしっとした字で名前だけ書いてるドイツのメルケル首相と、キャラが立っている。
賢島駅南口。
この写真左手の建物は今の駅舎とは繋がってなかったけれど、1929年に開業した当時の駅舎。あんまりにもしれっと建ってるから、そんな歴史的なものとは思わなかった。
英虞湾クルーズ
しかし賢島なんてホテルと真珠屋とクルーズ船くらいしかないし、さらっと戻って10年ぶりに鳥羽にでも行こうかなと思いきや、クルーズ船って5000円とか取るのかと思ったら1800円。あらリーズナブル。
複数の遊覧船があるみたいだけど、時間的にちょうどいいタイミングで出るエスパーニャクルーズ賢島の方をチョイス。盆休み中は12時半にも増発便がある。このエスペランサ号に乗るのだ。
キャラックまたはガレオン船っぽいイメージで作ってあるそう。まあ細かいことはいわない。
中は全席自由で、冷房の効いた客室の窓から見ることもできるんだけど、私は暑さに耐えて甲板に上がる。船が動き出すと風もあたるし、案外大丈夫だった。
北に本土、東から南西にかけてぐるっと先志摩半島に囲われた英虞湾は、多重にぎざぎざになった海岸線がひたすら続くフラクタルな海。
カメラには70mmレンズをつけてましたが、地上では中望遠レンズの70mmも、海の上だと標準か広角寄りを使ってるような感覚になっちゃうな。ズーム持ってくればよかった。
それと、船はそんなに速いとは感じないけど、意外と近めの島を狙ったときは船の移動で画像が流れちゃったりも。
絞りはF9.5とかF11で絞り優先AEで使ってたんですが、Exif見ると案外1/90sとか1/125sとかで切れちゃってる。感度を高めに固定するか、PENTAXならTAvで両方固定しちゃうのが良かったか?
次にこういう機会があったら、暗いのでいいから70-300mmとかの望遠ズームがあるとよさそうだなあ。
どっちを向いても多重に重なる海岸線。
母の実家だった南予地方も、密度や離れ小島の数は違うけど、こんな海岸が続くところだ。そして真珠の養殖をやってる。
今出た賢島の港を振り返る。
遠くに見えるのはヴィレッジ&ホテル志摩地中海村。スペイン風の町並みに作ってるらしい。
しかし別に志摩とスペインはそんなに似てない気がするのだけど、このエスペランサ号といい志摩スペイン村といい、なんでなんだろう……と思ったら、Wikipediaにあった。つまるところバブル期にレジャーのテーマにするべくこじつけたものらしい。
だがそれを悪いと責めるのも野暮というものよ。その昭和でバブルな観光開発の余熱に乗っているのだから。
夏もあってか、あまり仕事っぽくない感じで漁船を出して釣りしている姿もよく見られる。
母の実家の南予もこんな入り組んだ海岸線で、子供の頃に連れて行かれたときには、遊びで漁船出してもらって釣りしたりしたもんだったな。
何箇所か、こんな小さな砂浜が見えた。骨川家的なとこのプライベートビーチだろうか。
ミキモト多徳養殖場。丘の上の建物は迎賓館的なものらしい。
通りすがりのウォーターバイクのおっちゃん方も手を振ってくれる。
これが英虞湾の出口みたい。おそらく右手が浜島町浜島の岬で、遠くに霞んで見えるあたりはもう湾外。
ここらへんで折り返しに。良い雲出てたな。
私はずっと船の右手に陣取ってたけど、アナウンスは基本的にずっと左手側に見えるものを案内していた。結局同じところを折り返してくるからどっちに居ても見えるんだけど、右手にいるなら前半の案内と見えたものを覚えておかなきゃいけない。
帰りは右手に間崎島を見ながら航行していたんだけど、間崎島はちょっと岩礁が出っ張ってるようで、船が距離を取って回ってしまう。遠すぎて70mmレンズではちょっと写真に映えなかった。
そしてやはり手を振ってくれるボート。
一旦出口真珠の工場に寄港して、真珠貝の核入れ作業の見学と物販コーナーへ。さすがにおじさんひとりで来て真珠のアクセサリー買うのはハードル高すぎるけれども。
奥の方に英虞湾でとれる貝の標本展示がしれっとあって気になったんだけれど、停泊時間10分と言われてしまってゆっくり見れなかったな。
いかな賢島でも、海面が間近に見れる機会はあんまりなかった。
残り僅かな帰路は、1階船室から。ガラス越しだけど海面近くてこれはこれで。
ということで、50分程度のクルーズはこれでおしまい。
昭和リゾートもなかなか侮れないものがあるな。英虞湾の景色は確かに絶景だった。
英虞湾だとほとんど波もないので、エスパーニャクルーズだと船も大きいから揺れもほとんど気にならない感じ。多少弱くても大丈夫そう。
真珠港駅跡
エスパーニャクルーズ乗船口から、駅と反対方向にちょっと歩くと、かつての志摩線の末端駅・真珠港駅の跡地がある。
今はもうなにもなく、別に真珠港駅とは関係ない感じの石碑があって、近くのホテルの駐車場にされていた。
しかしここの海べりは、かつて貨物の積み下ろしに必要だったのだろうか、ステップ上に海へと下りている。賢島で、どこかの客としてでなくても海水に手を届かせられる場所、ひょっとしたらここくらいしかないかもしれないな。
明治末に参宮鉄道が鳥羽までやってきて、ならば奥志摩まで延伸をということで、大正末に志摩電気鉄道という会社ができた。(四日市では有名な伊藤伝七が社長)
奥志摩の中心都市だった鵜方まで引こう、という計画だったところ、英虞湾まで観光客を誘致するほうがいいと助言を受けて、かしこ島(当時は無人島)まで伸ばすことになった。
その際の終着駅がこの真珠港駅。
とはいえ、旅客はみんな賢島駅で降ろされて、真珠港駅は真珠養殖関係の貨物を扱っていた。貨車は国鉄参宮線に直通して荷物を運んでいた。
戦後、志摩線は三重交通が所有していたんだけど、これを1965年に近鉄に譲渡。そしてその頃、三重の真珠養殖は下り坂になっていた(代わって愛媛の真珠養殖が伸長していく)。
近鉄は、志摩地方の観光開発に向けて、名古屋や大阪方面へと直通できるように、近鉄山田線の宇治山田から、志摩線のある鳥羽まで線路を伸ばした上、志摩線の軌間を山田線と同じ1435mmに改軌することに決定。
貨物のみだった賢島-真珠港間は改軌をせず、貨物輸送も廃止に。
1993年までは留置線として残されていたのも廃止され、今となってはもう何も残っていない。
そして道路になっている廃線跡を歩いて駅に戻り、鳥羽へ。
駅には観光列車「つどい」が止まっていたけど、これには乗らずに特急で。
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