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本町~天満のビル街歩き (PENTAX K-m / smc PENTAX-DA 21mmF3.2 Ltd.)
※うっかり下書き保存してそのまま忘れてたんですが、15日に歩いたときのものです。
丼が欲しくなった。ここらで何か、というと船場センタービルにある日本工芸館のショップかな、と思って行ってみたものの、今回はいまいちピンとくるものがなかった。
せっかくだから、そのまま本町から天満にかけて、旧町名継承碑を巡る散歩に。
堺筋本町駅から出て、東横堀川に沿って北上して、天満で西に進路を変えて梅田の方へ。
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堺筋本町駅の8番出口すぐに、唐物町一~五丁目の旧町名継承碑。いかにも唐物を扱ってそうな町名だけど、それが由来だと断言できるような史料などはないらしい。
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通りすがりに、なんか育ちすぎな植木が派手な喫茶店「濱田屋」。なかなかいい味。
本町橋を渡って、東側から川沿いを上がっていく。
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「豊後町」の旧町名継承碑は、いつからだか、フェンスに囲われている。
元禄八年(1695年)の地図に豊後町という記述があるけど、由来その他はよくわからないとか。東横堀川より大坂城側だし、武士の○○豊後守が屋敷を構えてたとか、そういう理由だとありがちな感じするけど。
このあたりはオフィスビルくらいしかないので、どんどん歩いて天神橋へ。
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PENTAX K-mは、PENTAX最後のCCDセンサー一眼レフなのだけど、やっぱり空の色とか森の緑には今のCMOSとは違う色がでるね。
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大きな天神橋1交差点のところに、「鳴尾町」の旧町名継承碑。
このあたりに魚商人が集まってたのが由来とのこと。それは魚がしっぽをびちびち鳴らすからだろうか。神戸の鳴尾は「なだらかな傾斜を意味するナルに、武庫川の端っこの尾(オ)を合わせた地名」らしいけど。
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なんだか上がっていく向きがバラバラに見える大型歩道橋。
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大阪天満宮の大鳥居が、現在ではビルの隙間にこぢんまりと。
ここから少し西に入って、阪神高速12号守口線の下へ。
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そんなところに立ってたら歩行者が碑文を読めないやろ、と思えちゃう、「樽屋町」の旧町名継承碑。
阪神高速12号守口線は、かつては天満堀川という運河だった。この近くには、特に樽材を扱う材木商が多くて樽屋町とされていた。天満堀川にも樽屋橋がかかっていたとのことで、多分この場所がそれなのかな。
ここから北に2ブロック。
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「地下町」の旧町名継承碑。読みに迷うけど、ジゲチョウらしい。
一般名詞として、神社の氏子が集まる町を地毛町と呼ぶ。天神祭の神輿担ぎを担当していた町らしいので、それだけ重要氏子の多いところだったのかな。
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空がスカッと。
ここから西へすぐ。
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西天満郵便局の隣、イワイビルの敷地に「源蔵町」の旧町名継承碑。私有地にあるのはわりとレアなんだけど、民営化されたとはいえ準公共施設たる郵便局を差し置いて、ってのはさらに珍しいかも。
何者かまでは書いてなかったけど、源蔵さんの屋敷があって「源蔵屋敷」という地名が江戸時代にあったとのこと。
西天満界隈の旧町名継承碑は一通り回ってある、のだけど、ひとつ取りこぼしてたので西へ。
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セブンイレブン大阪西天満4丁目店の前、「老松町一~三丁目」の旧町名継承碑。これも珍しい私有地タイプ。
「住吉大神影向の松」なるものがあって、祠を作って石敷き囲い付きで祀られてたのが由来らしいけど、火事で老松も何もかも消失して、今となってはどこにあったのかもわからない。
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そして梅田まで歩いてきた。大阪駅前ビルの中古カメラ屋を冷やかして帰宅。