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岡山の城巡り(2)岡山城 (K-70 / smc PENTAX-DA★16-50mmF2.8)

前回のあらすじ:  おかでんで東山駅まで到達した私。しかし、立ち寄ろうと思っていたおかでんミュージアムはチャギントンに征服されていた。門番の賢者に真実を告げられた私は岡山城址へ進路を変えるのだった。

 何も知らずに歩いてきたら、宇喜多直家の正室で秀家の母であるお福の方の供養塔がある、と看板を見かけた。
 岡山では彼女の墓の立派さを手鞠歌にして語り継いでたそうだけど、なぜだか歌の中では「お鮮」と呼ばれている。この五輪の塔は立派ではあるけれど、これがその歌のそれなのかどうか。
 美しい人で、高松城を攻めに来た秀吉に大阪城に誘われて、そこで秀家を猶子にして豪姫(前田利家の娘)を娶せる話をつけて、岡山城も作らせてもらって五大老にも加えてもらった。それらはすべてお福の方のおかげ、とする看板を国際ソロプチミスト岡山が立てていた。

 このお墓があった丘のすぐ北側が小川になってたけど、妙に立派な排水口(地図で見ると小学校のプールから排水するためだろうか)があったり、なぜか川べりに鳥居みたいなのが半分埋まったように立てられてたり、なんだったんだろう?

岡山城

 旭川を渡るところで見えてきた。
 しかし犬山城みたいに小さめの城ならともかく、50万石以上のかなり大きな城なのにずいぶん天守が川っぺり。なんでもこの広い旭川を東に曲げて堀代わりにして、郭はどんどん西側に広げたらしい。
 まあ東の大坂や姫路側よりも西側に備えるべき城でもあるか。

 南東側からアプローチ。
 手前に見えてるのも櫓台で、手前が槍櫓、右側奥が弓櫓というものがあったと。まあ川だけじゃ防御にならんもんな。
 本丸の石垣上、左奥に見えてるのが不明門で、今の岡山城の正門的な入口。……と知らずに一周してきてそこから入ることになるが。
 不明門から右手の方の石垣の角にも、三階櫓が建ってたとのこと。
 高石垣は全体は打込み接ぎで戦国時代っぽいけど、不明門の下だけ積み直した形跡があるな。

 さらに本丸東側の石垣を眺めて歩くと、左手の宇喜多秀家が作ったところに、右手側に小早川秀秋が継ぎ足したというところにくる。むしろ秀秋のほうが素朴な石垣積んでるなあ。宇喜多時代の方が豊臣マネーで贅沢にやれたんかしら。

 この外側に積まれた石垣なんだろうな。補強か?

 これが六十一雁木門という東側の門。右手側は本丸そのものの石垣だけれど、左側にも石を積んで、元々は階段下にも門があったそうだ。

 天守の北側に、なんか明らかに石垣が違う部分がある。
 天守下の石垣がせり出してきてしまったから、元禄の頃に補強で積まれたものだそう。

 北側からの天守。上から見ると五角形の天守に、西側に突き出すように塩蔵が追加されていて、かなり異形。入口は元々塩蔵にあったらしい。蔵から出入りする構造というのも不思議に思えるが。

 本丸北西角の月見櫓は大体築四百年ほどで、岡山空襲で天守や不明門は焼けてしまったがこれは残った。石垣も見るからに新しい切込接ぎだけれど、これは秀秋が死んで小早川家が断絶した後に入ってきた池田忠雄の頃のもの。

 南西側には、かつては天守に次いで大きかった大納戸櫓があった。

 そして石垣を楽しみながら一回りして、南側正面、不明門横から上がれる。不明門下の石垣だけずいぶん黄色いが、どこかでちらっと戦争で焼けたときの影響と見た気がするんだけど、メモが見当たらんな。間違いの可能性も高い。

 本丸は高さが3段に分けられていて、上がってきたここが中段、高石垣の下が下段、不明門を抜けて天守があるところが上段になっている。
 中段のここには表書院があって、行政施設になっていた。この写真の右手後方に玄関があり、この段差のところは塀で仕切られて門があったらしい。
 藩主の住居は、不明門の向こうの上段にあった。

 そして不明門へ。藩主は普段は北側の天守そばから出入りしてたそうで、ここはずっと閉めちゃってたと。
 明治時代に取り壊してしまって、60年代に外観復元された。

 あがってきたら天守の礎石なんてものが並んでるのだが、なんのことかと思ったが、岡山空襲で天守が焼けて、60年代に新しく外観復元天守を建てるにあたって礎石はそっくり場所を移してここに置いた。
 違う場所に天守建て直したんかと思った。
 多分この場所には本丸御殿でもあったのかな。

 そして岡山城天守と塩蔵。2022年に大改修が終わったばかりで、まだまだ真新しい。

 まあ外観復元で中身はエレベーターついてる博物館なので、あまり中の写真で展示品のバラしは控える。
 花房正成の兜が頭周り54cmだったらしくて、当時の日本人は小柄やなーと思ったけど、私の63cmが巨大なんだよ。

 宇喜多の家紋ついてると毒入りに思えないか?

 不明門を閉めたまま、もっぱら出入りに使ってたらしい廊下門が見えるけど、今はまだ下りない。

 本丸中段に掘り下げてるところがあって、宇喜多時代の石垣が地中から発掘されたのを展示している。本丸中段はもともとここが北端で、秀秋の頃に拡張したということになるのかな。
 やけに鋭角なのも珍しいそうな。

 さっき下からも見た月見櫓は唯一の現存建物。下から見える北・西面は石落としがある戦闘用の作りで、本丸内側から見える南・東面は広々と外が眺望できる作りになってる。雨戸を取っ払って宴会場にしてたんじゃないかとのこと。

 廊下門を出て、岡山城は一通り楽しんだ。
 ここから後楽園に行くのだけど、一旦このへんで記事を分けよう。


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