プロローグ
◇レッド
失恋には酒。
酒には酒場。
昔から『そう』相場が決まっているのだ。
だから今、私が酒場で酒を飲むことは『正しい』選択なのだ。
一息に飲み干したら手を上げて「おかわり」と頼み、届いた先から杯をあけていく。
この行動には『なにひとつ』問題はない。
というのに同じ卓に座っていた男どもがため息をつきやがった。
「レッド、飲み方が荒れてるぞ」
「うるさいブルー、黙って注げ」
「またフラれたんか、レッド?」
「黙れイエロー、ハラワタえぐるぞ」
「もう諦めたらどうです、レッド? わたしと一緒にお一人様しましょう?」
「私を道連れにするなグリーン」
「でもレッド、飲みすぎるとまたぽんぽん痛くなりますよ?」
「ピンクは可愛いなー、そりゃピンクになるはずだわ」
どの道、この世界で失恋ほど酒が進むものもない。だから今の私は酒を飲むしかないのだ。
飲み干してからジョッキを机に叩きつける。
「……告白したらゲイ、告白されてもゲイ、最早声をかけたらみんなゲイ……え、なに? ここはボーイズラブの世界なの? 女は常に当て馬? だったらSNSで結婚報告あげてる奴らはなんなの? ここではない世界の話? パラレルワールドなの? むしろ私以外の女は男の女体化だったってこと? なんでもいいからだったら既婚者全員異世界トラックに轢かれてこっちの世界堕ちてこいよ‼」
「落ち着けレッド、個室とはいえさすがにうるさい」
「うるさいブルー! お前もどうせゲイだろ!」
「抱いてやろうか?」
「黙って死ね‼」
「そういうところが結婚に不向きな理由だぞ、レッド」
「おい、聞こえなかったのか、ブルー。何故まだ生きている?」
心底呆れたという顔でブルーは「早く飲みな」と私に酒を注いだ。
そうだ、それが『正しい』。注がれた酒をあおってから、『今回』の一連の事案を思い返す。
「……実はね、イエロー、私ね、プロポーズされたのよ、先週」
「え、聞いてない! そっかー、よかったなレッド。婚活頑張ってたもんなー、ついに結婚かー」
「そうよね、普通そうなるわよね、イエロー。そして今日ねー結納の予定だったのねー、結納ってわかる、イエロー? ねえ、わかる?」
「わかるわかるー婚約の儀だろ? 婚約指輪もらったか?」
「そうね……料亭の個室でねーこっちの両親と向こうの両親と彼氏とねーちょっと緊張しつつもねー和やかに食事をしてたらねー、スパーン! ってね……襖スパーン開けてきたのよ、見知らぬイケメンがよースパーンスパーンってさー」
「どんなイケメン?」
「オラオラ系。そいつが喋り出す前に私は深く息を吸い込んだよね……」
「そのオラオラ系イケメンになんて言われたんだ?」
「『その婚約待った!』に決まってんでしょうが! 開口一番にこちらの予定崩してよォ! そこから始まる愛の告白! はーい、出たよー! 出ましたー! ありがとうございましたー! 事前にちゃんと息吸ってたからしっかり叫べたよね、『どうか末永くお幸せに死ねー‼』」
イエローはケラケラと笑い「そっかー、またかー」と言った。わかってたくせにとぼけたやつである。イエローの隣にいたブルーが私の杯に酒を注いだ。はやく潰れて黙って寝ろということだろう。言われるまでもない。浴びる勢いで全てを飲み干す。
「……もうどうしたらいいの、グリーン? 私が話しかけるとみんなゲイになるんだけど。そこのところどう思う? ねえ、グリーン?」
「わたしはレッドに会う前からゲイですから安心してください」
「そもそもゲイってなに? 何故完璧女子アナスタイルの私を当て馬にしてヒグマに走る? なぜ? 私のどこがだめ? 染色体?」
「性的指向は変えられませんよ……でも辛かったですね、レッド。もう百回目ぐらいでしたか、その展開?」
「婚約破棄はまだ三回目よ。でも親も慣れたものよ。あっという間に弁護士呼んで慰謝料請求してたわよ」
「親御さんもそんなことに慣れたくなかったでしょうに……」
「親に同情するのはやめろグリーン‼ 同情するなら金よこせ‼ あとそこで引き笑いしてるブルーとイエロー! エンターテイメントとして見てるならお前らも金払え‼ 一九〇〇円な‼」
ブルーは私の杯に酒を注ぎ、イエローは私の皿に唐揚げを積んできた。
馬鹿どもから捧げられた肉と酒をむさぼり、憐憫の視線だけをよこしてきたグリーンについてはビンタしておいた。
私があらぶっていると、最年少のピンクが私に水を差し出した。
「そういうことで、今日俺たち召集かけられたんですね」
「ごめんねピンク、急に呼んで……」
「いえいえ。俺もそろそろ会いたかったんで……」
「え、なに? 二宮くんと進展あった?」
「進展っていうか、あいつまた浮気したらしくて……俺もその修羅場に巻き込まれまして……」
「またー? ドクズだねー? 実はゲイなんじゃないの、そいつ」
「だったら俺としては大勝利っすけど……」
「むしろ私が話しかけてみようか? そしたらどうせゲイになるわよ」
「自棄っぱちにならんでくださいよ……」
酒を飲み、肉を食べ、酒を飲み、ため息を吐き、酒を飲み、酒を飲み、酒を飲み、夜を越えて朝まで続く。
飲んで、飲んで、飲んで、飲んで、失った恋が曖昧になるまで飲むための集い、それがこの『失恋ファイブ』だ。
「やっとこの『地獄』から脱出できると思ったのに……」
「お前には無理だって、レッド。結婚線がないもん」
「お前なんでまだ生きてんだブルー‼」
叫んだらブルーに頭を掴まれた。
「なによ?」
「膝貸してやるから一回寝ろ。さっきからジャバジャバ酒こぼしてんだよ、もったいねえ」
抵抗も面倒で、彼の腿を枕にする。艶々していて高そうな生地のズボンだし、骨ばった腿で不愉快だった。
「ここで吐いていいの、ブルー?」
「マァ、いいよ。金は払ってもらうけど」
「金払えば許されるのか……オエッ」
「さすがレッドだわ、躊躇いがねえな」
だから、盛大に迷惑をかけてから、目を閉じてやった。
「……腰が痛いんだけど」
「そりゃそうだろうな、床は大理石だぞ」
「死ね‼」
しかしそうして――目を開けたら、何故か財布の中身が消え、靴も片方消え、ブルーの家の床に転がっていたことについては絶対に許さないと決めている。
なんで紅一点かつ失恋した私を床に寝かしておいて、家主が堂々とベッドで寝てるのか。絶対に許さない。絶対にだ。