第2話 閑話
寂しさは骨に染みる
◆ 作田(水戸恭一の中学時代担任教師)
「よう、センセ。お礼参りだ。殺してやるよ」
中学の卒業式が終わったあと、水戸はそんなことを言って俺に抱きついてきた。
正直本当に殴られると思っていたから、その子どもらしい仕草にかなり驚いた。水戸は俺を抱き締めながら「ビビってんだろ、心拍数半端じゃねえぞ。死ぬのか?」とケタケタ笑った。
この水戸恭一という生徒は中学入学時から様々な問題を抱えていた。
授業で習うことの大半を既に知っているだとか、自分の痛みに鈍感だとか、思春期らしい衝動的な行動が多い、とかだ。いつもギラギラと目を輝かせ、キラキラ輝く金髪が恐ろしいほどに似合っていた。こんなヤンキーでもいつかは更生すると思いながら接していたが、同級生の親に手を出して刺されたときにはさすがにもうこいつはだめだと思った。
でもその事件から彼は、憑き物が落ちたかのように落ち着いた。
入院中に何度もしつこく見舞いに来る俺に「毎日暇なのかよ、センセ」と笑うようになったときは本当に驚いた。こいつ普通に笑えるのか、と。
ちゃんと考えれば水戸はまだ十四だった。
なのに誰も彼も水戸が悪いと判断した。そのぐらい彼は大人びて見えたし、刺されて当然だという風にまわりに思わせるだけの怖いやつだった。
でも彼はまだ十四だった。
入院中にその金色の髪が黒くなり、退院のときには坊主になった。似合ってるよと言えば「センセ、目悪いな。度が合ってねえんだろ」と俺の眼鏡を奪い「伊達じゃねえか」とゲラゲラ笑った。眼鏡はそのまま盗られ、水戸の顔にかけられることになった。怖かったから取り返さなかった。
そんな彼が卒業するにあたって俺にしたことが、ハグだった。さすがに泣いた。
「泣くなよ。なんなの、その今生の別れみたいな態度。俺、また来るよ?」
「えっ」
「嫌そうだな。ハハッ、うける。今決めたわ、絶対毎年会いに来るからちゃんと元気に奥さんとセックスしてろよ、センセ」
大人用の眼鏡じゃ少しずれるところが子どもらしかった。
水戸はそれから本当に毎年来た。来るときは突然で、そうしてあれやこれやと一方的に話し「じゃーな、センセ」と去っていく。年々彼は落ち着いていき、年々彼は大人になった。そんな彼が来なかったのは二十歳のときだけだ。二十歳のお祝いを用意していた俺は、それを二年間持ち歩き続ける羽目になった。
そして、二十一歳の彼はやっぱり突然やってきた。
しかしそれは今までと全く違う姿だった。鍛えていた体は萎むように細くなり、俺の眼鏡もかけていなくて、いつもギラついていた目には少しの光もなかった。たしかに水戸なのに、外側の皮だけ残して中身が全て抜けてしまったかのようだった。
でも彼は「センセ」と変わらぬ調子で俺を呼んだ。
「友達が自殺したんだ。その後始末に一年かかった」
「……殺してないよな?」
「殺したら優のところに行くんだろ? 許さねえよそんなの。だから、ちょっと頭をいじってやっただけだよ……」
泣けばいいのに彼は笑った。それから卒業式のときみたいに俺に抱きついてきて「近々、死のうと思う」と言い始めた。その言葉はもう全部決めきったかのような色をしていて、ゾッとするぐらい冷たかった。
「死んじゃ、だめだ」
「だめ? ……なんで?」
「俺、この二年、ずっとお前の二十歳のお祝い持ち歩いてたんだぞ‼ ……だから、ほら、かけてみろよ!」
水戸は俺が二年持ち歩いていたプレゼントである眼鏡をしばらく見たあと、のろのろとかけた。よく似合っていた。
「似合ってるよ! だからその、……だから死んじゃだめだぞ!」
「……俺、左目弱視なんだけど、これ伊達だろ……見えねえよ、逆に……」
「えっ!?」
「……あんたそういうところ全然変わってねえな。全然先生っぽくねえ、全然大人っぽくなくて……いいやつで……優は、……あんたに似てたよ……」
水戸が泣くところを見るのはそれが最初で最後だった。
そうして今も、水戸は突然、俺のところにやってくる。
「センセ」
俺の渡した眼鏡をまだかけていて「お礼参りだ」と笑いながらやってくる。ずいぶん大人になった。昔の彼が見たら驚くぐらいに大人になった。俺も老けたなと言えば「はじめからジジイだろ」と水戸は笑った。いい笑顔だった。
夢でまた会える
◆ 羽山 冴子(水戸の初恋の相手、羽山優の母親)
「優、……が、死んだ?」
彼にそれを告げたときのその言葉で『彼はなにも知らなかったこと』がよくわかった。その事になぜかほっとした。よかった、知らなかったのは私だけではなかったとほっとした。
彼はすぐに海を渡り、私の元に来てくれた。そして彼を追うように私の子どもも帰ってきた。
息子はとてもきれいな顔をしていて、首に残った傷跡だけが哀れだった。冷たいけれど肌はまだ柔らかいような気がした。
息子に触れたのはいつぶりだったろうとそんなことを思った。
「優、頑張ったね、お疲れさま、もういいよ、ゆっくり、……休んでね……」
言葉をかけたけれど、その全てが自分でも嘘に聞こえた。空虚だった。なにもかも全てが夢のように現実味がなかった。まばたきをしたら時が過ぎていて、私がなにもわからない内に世界はぐるぐると回っていく。全てが遠い。
いつの間に私は焼き場に来たのだろう、と思った。
ぼんやりと目の前にある息子の棺を眺め、それから隣を見た。私を支えてくれていたのは息子の親友だった。彼は私を見て「……大丈夫か?」と聞いてきた。私はそこでやっと、彼の手をずっと握っていたことに気がついた。
「一緒に、……水戸くん。お願い、一緒に来て……」
「……俺がいてもいいの?」
彼は私を見ていた。ずっと見てくれていた。そこでやっと、自分がずっと泣いていたことを理解した。
「あなたが来て。お願いよ。あなたが来て……」
「……優がいない。あいつがいないとなにが、……なにが正解なのかわかんないんだよ……」
彼は私を抱き締めて「やっと目が合った」と言った。それから「死なないでよ、優のおかあさん。あんたは死なないでくれ」と吐くような声で私にすがった。私たちはそれから優の体が骨になるのを待ち、優の骨を拾った。
彼は最後まで泣かなかった。
「おはよう、……飯食える?」
「……ううん」
「じゃあスープ飲んで」
「……うん……」
優の骨と暮らす私の隣に彼は空気のようにいてくれた。夫にも寄り添ってくれていたらしいが私はそれを知らない。私は何も見えていなかったし何も聞いていなかった。ぼんやりしている間に朝は夜になり、夜は朝になる。それを繰り返すだけの世界。彼は私のために料理をし、掃除をし、テレビをつけ、カーテンを替え、私によそゆきの服を着せ、メイクをしてくれた。
「水戸くん……人って自殺したら、そこで永遠に自殺しつづけるんだって……」
「誰に聞いたんだ、そんなデマ。そんなわけないだろ」
「優はまだ、あそこにいるのかしら……」
「優はここにいる。ここで笑ってる。ほら、写真だってここにあるだろ」
「優は……」
「俺を見て。大丈夫だから。優はゆっくり休んでるから」
「……そうね、水戸くんが言うなら、きっと、そうね……」
「そうだ。絶対、そうだよ」
彼は優の荷物が届いたときも私の代わりにそれを整理してくれた。
「おかあさん」
いつからか彼は私をそう呼んだ。それはとても自然なことだった。私も当然のように「なあに」と返事をするようになっていた。
「優の日記があった。俺は読んだ」
「……そこに理由が書いてあるの?」
彼は頷いた。だから私もそれを読んだ。
優の作っていた『最強の彼女』なんていう生活を補助してくれるロボットのデータの中にその日記は隠されていたらしい。『これを見つけるのは恭一だと思う。そしてそれは、僕が負けたってことなんだろう』そこには優の言葉があった。音声データもあった。あの子が痛め付けられている音の中は、しかし二度と聞けないと思っていたあの子の声があった。あの子が泣きながら恨み言を言う音声もあった。それでもあの子の声だった。あの子の写真もあった。たくさんの風景写真も。なんてことない日常も、少しは描かれていた。それは私たちには慰めになった。
しかし息子の最後は生き地獄だった。
「……おかあさん」
全てを読み終えた私を彼は見ていた。
「いいか?」
私は彼がなにを言いたいのかはっきりとわかった。本当の母なら止めるのだろう。そう思った。家族だったら絶対に止めるべきなのだろう。わかっていた。夫が知ったらなんていうかもわかっていた。だからこそ水戸くんが夫に言わなかったこともわかっていた。
しかし、わたしたちの正解は明確だった。
「……優がゆっくり休んでいる場所に、……汚いものはいらないわ」
「……うん」
「でもこの世界にもそんなものはいらないわよね?」
彼は私を見ていた。私は笑っていた。優が死んでから初めて笑えた瞬間だった。
「水戸くん」
「うん」
「あなたはなにができる?」
「……優を生き返らせること以外」
「そう、……なら、そうしましょうね」
彼も笑った。
「うん、そうしよう」
私たちはケラケラと笑った。
全てが終わったときに初めて優の夢を見た。
優はクスクス笑っていた。『おかあさん、怖い顔しないで』と、『ありがとう、おかあさん』と笑っていた。私が泣いて謝れば『俺は全然怒ってないよ』と言った。『これでよかったんだよ』と私を抱き締めた。
それは私の救いだった。初めて見えた救いだった。
「おかあさん、……俺はもう少し生きようと思う。おかあさんはどうしたい?」
「……そうね、……」
「もし死ぬと言うなら俺が殺す。痛くないように苦しくないように、俺がやる」
ここまできて私はようやく彼が私の息子をとても大切に思っていたことや、だから私のことも大事にしてくれていることを理解した。
彼の頭を撫でると彼は涙をためた目で私を見た。それでも彼はずっと私を見ていた。
私が死なないようにそこにいてくれた。彼だってずっと死にたかったろうに、私のために彼は生きていてくれたのだ。
「大丈夫よ」
「……なにが?」
「私は長生きするから」
「……、……本当に?」
私たちの報復には一年がかかった。優が死んでからもう一年が過ぎていたのだ。
「頑張りましょう、一緒に。ね、水戸くん」
「……優に似てる。その言い方」
「親だもの」
「ああ、……ああ、そうだ……」
そこから十年、今では彼は私の親友だ。
未だに彼の涙を私は見たことがない。きっと私が死ぬときまで彼は私の前では泣かないだろう。
「おかあさん、最新バージョンの無機物彼女見てよ! 頑張ったんだよ、特に鼻!」
「また若いときの私に顔を寄せたでしょ……」
「そう! リスっぽくてかわいいから!」
「ちょっとあなたも笑ってないで叱りなさいよ。妻がロボットになっているのよ? もう……仕方ない人たちね……」
今日も遺影の中の優は私たちを見て笑っている。その笑顔をまっすぐ見られるようになるまで、……私たちがまた笑えるようになるまで十年かかった。つまりこれは、それだけの話だ。
お母さん、僕は元気です
◆ 速川(水戸の会社の社員)
勤めている会社のことを親に説明できないまま三年経った。
しかしそれはこの会社が恥ずかしいからじゃない。むしろ俺はこの会社の社員であることに誇りを持っているし、この会社のトップである水戸さんに付いて一生懸命勉強して、いつかはその隣に並びたいと思っている。この会社に入れて本当によかった。やりがいがある。俺は生涯の仕事を見つけたとさえ思っている。
けれどそれでも親には話せないのだ。
「おはよう! 今日も格好いいね、マイダーリン!」
だって出社して早々いきなりパンツ下げた女の子に出迎えられる会社なんてどう説明したらいいのか。
俺はとりあえず『彼女』の腰をつかみ、自分のロッカーから下ろし、ロッカーから自分の端末を取り出すとフロアを見渡した。誰とも目が合わない。
「誰が彼女のパンツ下ろしたんですか!」
俺の叫びにフロアの同僚たちがこちらを見た。すると先輩の川辺さんが「あー、俺ー」と手を上げた。
「そもそも朝からなんで『エッチ』オプション起動させてるんですか!」
「昨日、ローションの材料変えたんだよ。ほら、『アレ』が荒れやすい人のためにって……だから時間経ったときにボディーへの付着がどうなってるかの実験してたんだよ」
「結果、俺のロッカーベッタベタなんですよ。場所選んでくださいよー」
「あ。それ考えてなかったな……漏れるよな、そりゃな……」
「やっぱ『介護』オプションの向上のが先じゃないですかね?」
「まあなー……あと『弁護』オプションのが実装早くいけるな、これは……つーか人型はむずい」
「ですね。効率だけ考えると……」
と話している横で『俺たちの彼女』こと、この会社のメイン商品である『無機物彼女』がハッピーに笑っている。
今日もいい笑顔で本当に可愛い。
彼女は俺の頬にキスをすると「汚しちゃったの怒ってる?」と聞くから「怒るわけないですよ。俺たちの誇りです、君は」と彼女を抱き締める。
「これ、ボディーも固くしましたか?」
「ああ。リアル重視にしてみたんだけど骨っぽいか?」
「悪くはないですけど、あんまり固いと怪我させませんか? それに若干重くなりましたよね? ハンディある人からの需要高いですし、……カスタム出来るようにするとどうなります?」
「値段がヤバイ」
「ですよねーあと質感もなー……」
と話していたら別の『彼女』と一緒に我らの社長がやってきた。今日も今日とてハンサム代表の顔をしている俺たちの社長はニコリと笑う。
「おはよう、川辺さん、速川さん。なにしてんの?」
「この間言ってたローションのボディーへの付着確認で……実験室でやろうと思ったんですけど、牧さんに『変態』って怒鳴られたんですよ」
「牧さん、『エッチ』オプション反対だからなあ……でもだからってここでやるなよ、ロッカーベタベタじゃん。彼女、掃除してくれる?」
「はい、ダーリン!」
「そっちの彼女は足あげてくれるかな?」
「はーい、ダーリン!」
彼女に足をあげてもらい大の大人が三人揃ってしゃがんで彼女の局部を観察する。『こんな職場やっぱり親に言えないな』と思いながら、状態を確認した。
「……あー、これ……衛生的に厳しそうですね……」
「生でやるなって話なんだけどな……ダメだな、これ。ボディが痛む」
「……エッチオプション要ります? やっぱりなくてよくないすか? 今のまんま、やろうとすると『同意のないセックスは犯罪です講座』始めるでよくないですか?」
「でも彼女と添い遂げたいって人がそこそこ出てきてるからなー……ごめんね、ちょっと掃除するよー。痛かったら言ってな?」
水戸さんは『無機物彼女』と銘打っているが彼女たちを乱暴に扱うことを許さない。ところ構わず盛るのはいいが、彼女に傷をつけたら怒涛の説教タイムが待っている。なので俺たちは彼女の指一本でも慎重に扱うし、腰だけのパーツでもパンツを履かせる。
水戸さんは彼女をきれいに掃除すると、ちょうど彼女が俺のロッカーの掃除を終わらせてくれていた。「ありがと」とお礼を言うと「お役に立てて嬉しいわ、ダーリン!」と可愛い返事してくれた。
その横で水戸さんは深く息を吐く。
「このまま俺らの彼女になんでもかんでも出来るようにさせると人類が要らなくなる気がしてきた……んー……ちょっとどっかで会議するか。午後一ぐらいに俺と道久さんと牧さんあたりで会議組んでくれるか? 十五分でいいから、オンラインでもいいし……」
「水戸さん、その会議、俺も出ていいですか?」
俺の質問に水戸さんはニンマリと笑う。
「いいよー」
「やった!」
「仕事好きだね、速川さん」
「楽しいですから」
「そ? マァ、従業員が楽しんでんのが一番だな」
水戸さんはそう言ってから彼女にキスをした。
「うっわ、……」
水戸さんは外見は普通にハンサムなのだが口を開けば十八禁、動き出したら二十禁、キスシーンは三十禁である。
一通り確認したのか、彼はキスをやめて彼女の頭を撫でた。
「ここの環境でこれか……あー、やっぱ『エッチ』オプション難易度高いわ。下手すると壊れるし……採点機能つけるか? 下手なやつはできないようにするとかさ……」
「その辺もあとで検討しましょう」
「うん。そうしよう。じゃあ今日も楽しく彼女を作りましょうーよろしく!」
水戸さんはそうフロアの人間に声をかけるとまた研究室に引っ込んでいった。俺たちはそれを見送ったあと「この会社楽しいけどなあ」「代表があれだもんなあ」とため息をついた。
ちなみにこの一ヶ月後に俺の田舎の母が突然上京して「職場見学はできないの?」と言い出して、この会社設立以来最も大きな危機に直面することになるのだが、それはまた別の話である。
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