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ちょっとはおとなになったよね

幸せになることって普通になることだと思ってた。歪なりにも形になった私はグニャグニャしながら笑えている。落ち込む日もある。
落ち込んでしまった瞬間のある人生は、それ以降どんなに元気になっても落ち込む思考がよぎる。死がよぎる。自殺がよぎる。ここ半年ほど、腕を切ることを辞め、食べたものをひたすら吐くフェーズに入った私は見てくれだけ健康体になった。1日何万もウーバーイーツに溶かして食べて食べて吐き、吐いて吐いて胃が空っぽになったらまた食べる。食べる。吐いて、もう顎が疲れて無理ってなったら止めて、寝る。そうすれば太らないし、体はキレイだし、一旦胃に入れてトイレに流せば食べ物を無駄にした気もない。
そんな人生疲れたよって今までだったら死、死、死死死死(ビルドアップ)って感じだったんですが、なんか最近そんな感じもしない。ちなみにご飯を吐いてもない。別に環境が変わったわけでもないし、お金に余裕がある訳でもないのにどうしてだろう……
死に直面して後戻りして、世界で1番暇な時間を過ごした経験から自殺はしないようにしようと思ったとかではない。この前普通にマンションの屋上まで行って怖くて震えて部屋に戻ってきたし。
親と仲良いからかなとか無理して仕事してないからかなとかなんか色々要因はあると思うし、今死にたい人へアドバイスをすることもできない。何か劇的にやりたいことが見つかったわけでもないし、何かを手に入れた訳でもない。でも強いて言うなら資格を取ったからかな?昔は本当に自分にはなんにもないと思ってたし、これからを生きる術なんて持ってないって思ってたけど、資格を取ってそれなりに働いて(半月で辞めた)なんだ私ってまだ何とかやれそうじゃんと思ってるからなのかもしれない。まだ私が若いからこんなこと言えてるのかもしれないけど、おばさんになってまだこんなだったとしてもまあどうにかするんだろうなって思えてきた……!なんだこれ!みなぎる!この世に資格は山ほどある!何でもやれる!
19歳くらいの頃は本当に躁鬱みたいだったから、元気がありそうな顔しながら空回りしているというかイキった精神病みたいな感じだったけど今は普通に穏やかな気持ちで過ごせている……。私は昔閉鎖病棟に入院した時に統合失調症の薬を処方されましたが一度も飲まず歪な感じで元気になっています。良くないけど。
正直薬を飲んでも元気になれる気がしないし、薬を飲んでその時の苦しみを散らしたとてストレスの根源はなくなっていないんだから逆に良くないだろというキモ・根性論を持っているためメンタルクリニック等にかかろうとしませんでした。23歳のこどもで何言ってんだって感じですけどこの人生結構色んなことがあってそれぞれの時期でトラウマになるくらい嫌な思いしたことがあるので精神疾患を持っていたとしてもきっと1つじゃない私にピッタリのお医者さんが現れると思えなかったのです。

不幸だった時、少なくとも不幸だなって感じてた時に、一緒に不幸だった人がいた。一緒に不幸せであることだけが救いのような気がしていた。本当はそんなわけないんだけど、その時はそう思っていた。話さなくなってからしばらくしてその人がなんだか幸せそうになっていて憎かった。私はこんなにまだ不幸なのに、しんどいのに、死にたいのに、苦しいのに、なんでお前だけ幸せそうなんだって、決して自分も幸せになりたいという意味ではなく、お前も不幸になれって意味でそう思ってた。今もうっすらそういう気持ちがある。今不幸だとかそういうんじゃないけど、人生において思考は一度浮かんだらもう二度と消えることは無い。その名残なのだ。私もきっとどこかの誰かにそう思われてる。人は連鎖だ。居なくなった友達を恋しがって、死んだ人を思い出して、面影を探してるうちに、違う誰かが私のことを探している。きっとどこかにいる。私が幸せに近づく度に、じっと見ている誰かがいる。

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