
なれなかった私。
彼がうつになった。私はうつになれなかった。
彼はうつから戻ってきた。渦中の出来事をすべて忘れて。
わかっている。病気に罹った当事者が誰よりも大変なことを。
そこから戻ってくるまでも、戻ってきた今も、完全に元通りには戻れないことを受け入れることも。
彼が置き去りにした時間のなかで私がどれだけ傷ついても、当事者ではない私は、彼より大変ではない。
そう言わなければ、やってられない。
私は、うつになれない。
だけど、私だって当事者だ。
彼がうつになった当事者なら、私はうつになれない当事者だ。
彼の苦しみが私にはわからないように、私の苦しみは彼にはわからない。
彼の苦しみは支えようとも、私の苦しみが伝わってはいけないその辛さを。
戻ってきた今も、投げつけられた言葉や拒絶する態度を、私は忘れることはできない。
もう彼は覚えていないけれど。
わかっている。わかっている。
ろくに睡眠の取れていなかった彼。
記憶は睡眠で定着することを、何かで見た。
それで覚えていないんだ、と納得もした。
性格が変わってしまったような言動も、脳内物質の分泌異常のせいであって彼自身を恨んではいけない。
わかっては、いる。
とはいえ、悲しい。
そう、悲しいんだとおもう。
忘れられてしまったこと。
支えたことも、傷つけられたことも。
そこに私の苦しみは無かった。
でも確かにあった。今も、ある。
優しくなれなかったこと。
もっとちゃんとできると思ってた。
もっとちゃんと、恨まずに、嫌わずに。
ずるい。自分だけ忘れて。
辛くて支えられて戻ってきて。
こんな気持ちは知りたくなかった。
所詮は嫌な奴だったってことだ、自分は。
私だって辛かった。支えられたかった。
物分かりの良さそうな顔をしながら、どうしたって思ってしまう。
もっと、善い人に、なりたかった。
2人だったから戻ってこられた。
戻ってきたけど、元の2人じゃない。
うつになった彼と、うつになれなかった私と。
忘れてしまった彼と、忘れられない私と。
いや。
なりたかった優しい私と、なれなかった今の私だ。